デジタル大辞泉
「丸山薫」の意味・読み・例文・類語
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まるやま‐かおる【丸山薫】
- 詩人。大分県出身。東京帝国大学中退。学生時代から三好達治、梶井基次郎らと創作活動を続け、また詩誌「四季」の編集に携わり「四季派」の叙情詩人として注目を集める。詩集「帆・ランプ・鴎」「鶴の葬式」「物象詩集」「花の芯」など。明治三二~昭和四九年(一八九九‐一九七四)
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丸山 薫
マルヤマ カオル
昭和期の詩人
- 生年
- 明治32(1899)年6月8日
- 没年
- 昭和49(1974)年10月21日
- 出生地
- 大分県大分町(現・大分市)
- 出身地
- 愛知県豊橋市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大国文科〔昭和3年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- 文芸汎論詩集賞(第1回)〔昭和10年〕「幼年」,中日文化賞(第10回)〔昭和32年〕
- 経歴
- 海にあこがれ東京高等商船学校に入学するが、病気で中退し、三高から東大に進む。東大在学中、第9次「新思潮」や「椎の木」に参加し、昭和7年「帆・ランプ・鷗」を刊行。9年堀辰雄らと「四季」を創刊し、10年「幼年」で文芸汎論詩集賞を受賞。20年から3年間山形県西村山郡西山村に疎開し、小学校教師の傍ら詩作をつづけ、24年から愛知大学に勤務、34年教授となる。その間、32年に第10回の中日文化賞を受賞。42年「四季」を復刊してその経営に尽力する。「鶴の葬式」「物象詩集」「点鐘鳴るところ」「北国」「仙境」「花の芯」「連れ去られた海」「月渡る」などの詩集のほか、小説集「蝙蝠館」、「丸山薫全集」(全5巻 角川書店)などがある。平成5年には英訳書も出版された。6年愛知県豊橋市により丸山薫賞が創設された。
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丸山薫
まるやまかおる
(1899―1974)
詩人。明治32年6月8日大分市に生まれる。内務省官吏であった父の転勤に従い移住を重ね、いつしか「エトランゼエ」の思いがはぐくまれたという。愛知県立四中時代に冒険小説や探検記、海洋文学に熱中し、東京高等商船学校に入学したが、脚気(かっけ)のため除籍。1921年(大正10)第三高等学校文科に入学、桑原(くわばら)武夫、三好達治(みよしたつじ)らと親交を結んだ。25年東京帝国大学国文科に入学、本格的に詩作を始め、百田宗治(ももたそうじ)主宰の『椎(しい)の木』、『詩と詩論』などに参加し、新詩精神運動(レスプリ・ヌーボー)の洗礼を受けた。32年(昭和7)第一詩集『帆(ほ)・ランプ・鴎(かもめ)』を刊行、翌33年堀辰雄(たつお)、三好達治と詩誌『四季』を創刊、『四季』は43年まで続き、昭和叙情詩の主流をなすに至った。45年山形県西村山郡岩根沢に疎開。48年豊橋(とよはし)市に移り、愛知大学文学部講師、59年同教授となった。詩集に『物象詩集』(1941)、『花の芯(しん)』(1946)、『月渡る』(1972)などがある。昭和49年10月21日没。
[飛高隆夫]
『『丸山薫全集』全五巻(1976~77・角川書店)』
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丸山薫 (まるやまかおる)
生没年:1899-1974(明治32-昭和49)
詩人。大分市生れ。東大国文科中退。はじめ船員を志し商船学校に学ぶが中退。三高時代,三好達治や梶井基次郎などと知る。東大に入って第9次《新思潮》同人,別に百田宗治の《椎の木》に加わる。つづいて《詩と詩論》《詩・現実》などにも参加。また小説を《文芸レビュー》に発表。1932年,第1詩集《帆・ランプ・鷗》を刊行。原形への夢を知的な文体に包んで昭和抒情詩の一方向を定め,津村信夫や立原道造などに影響を与えた。34年,堀辰雄,三好達治らと第2次《四季》を創刊。詩集に《鶴の葬式》《幼年》(以上1935),《物象詩集》(1941),《青春不在》(1952),《連れ去られた海》(1962)など。小説集《蝙蝠館》(1937)もある。
執筆者:安藤 靖彦
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丸山薫
まるやまかおる
[生]1899.6.8. 大分,大分
[没]1974.10.21. 愛知,豊橋
詩人。東京高等商船学校を中退後,第三高等学校を経て東京帝国大学国文学科中退。第9次『新思潮』に散文を,『椎の木』に詩を発表,第1詩集『帆・ランプ・鴎』 (1932) により詩壇に登場。フランス印象派風の鮮明なイメージをもつ知的,清純な作風は,昭和期における抒情詩新風として迎えられた。1934年堀辰雄,三好達治らと『四季』(第2次)を創刊,音楽性の回復を目指す『四季』派の中核詩人として詩集『鶴の葬式』 (1935) ,『幼年』 (1935) ,『涙した神』 (1942) などを発表,柔軟で彫りの深い詩風で生物や人間への愛情をうたった。ほかに,海洋詩集『連れ去られた海』 (1962) ,『月渡る』 (1974) などがある。
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丸山薫【まるやまかおる】
詩人。大分県生れ。東大国文科中退。《帆・ランプ・鴎》(1932年)以下,簡潔な表現のうちに,自己の暗い心象を対象に凝集させる抒情詩を書いた。1934年,堀辰雄,三好達治らと《四季》を創刊,活躍する。商船学校の練習船に乗って南方海域を一巡した経験をもとにした海洋詩集《点鐘鳴るところ》(1943年)を経て,戦争中は山形県に疎開,《北国》《仙境》などを発表。のち愛知県豊橋市に住む。戦後の詩集には他に《青春不在》《連れ去られた海》などがあり,別に小説集《蝙蝠館(こうもりかん)》(1937年)がある。
→関連項目三好達治
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丸山薫 まるやま-かおる
1899-1974 昭和時代の詩人。
明治32年6月8日生まれ。昭和7年「帆・ランプ・鴎(かもめ)」を刊行。9年堀辰雄(たつお),三好達治と詩誌第2次「四季」を創刊。詩集はほかに「物象詩集」「点鐘鳴るところ」など。34年愛知大教授。昭和49年10月21日死去。75歳。大分県出身。東京高等商船中退,東京帝大中退。
【格言など】海には花の匂いがする(「朗読ラジオ詩集」)
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丸山 薫 (まるやま かおる)
生年月日:1899年6月8日
昭和時代の詩人
1974年没
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世界大百科事典(旧版)内の丸山薫の言及
【四季】より
…第1次は堀辰雄編集,四季社刊,1933年5~7月,全2冊の季刊誌。第2次は堀辰雄,三好達治,丸山薫の共同編集で出発,四季社刊,34年10月~44年6月,全81冊の月刊誌。とくに注目されるのは第2次《四季》で,共同編集者のほか,津村信夫と立原道造が参加して昭和10年代抒情詩の一方向を定めた。…
※「丸山薫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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