久板栄二郎
ひさいたえいじろう
(1898―1976)
劇作家、シナリオ作家。宮城県に生まれる。東京帝国大学国文科在学中に新人会に接近し、卒業後プロレタリア演劇運動に参加。1934年(昭和9)新協劇団創立に加わり、『断層』(1935)、『北東の風』『千万人と雖(いえど)も我(われ)行かん』(1937)などを発表。第二次世界大戦前の社会派リアリズム戯曲の金字塔を築いた。新協劇団解散後は松竹大船撮影所に在籍してシナリオを書き、戦後、木下恵介監督の『大曽根家(おおそねけ)の朝』(1946)、黒澤明監督の『わが青春に悔なし』(1946)、『白痴』(1951)などを手がけた。劇作には『親和力』(1949)、『赤いカーディガン』(1955)、『原理日本』(1970)などがある。
[大島 勉]
『『久板栄二郎戯曲集』全一巻(1972・テアトロ)』
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久板 栄二郎
ヒサイタ エイジロウ
昭和期の劇作家,シナリオライター
- 生年
- 明治31(1898)年7月3日
- 没年
- 昭和51(1976)年6月9日
- 出生地
- 宮城県岩沼町(現・岩沼市)
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学国文科〔昭和2年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 紫綬褒章〔昭和46年〕
- 経歴
- 二高在学中に処女戯曲「蒼白い接吻」を執筆。東大に入学して阿部知二らと同人雑誌「朱門」を発行したが、のち左翼文化運動に身を投じ、プロレタリア戯曲「犠牲者」を発表し注目された。その後左翼劇場に入り、日本プロレタリア劇場同盟の中央常任委員として活躍。「断層」「北東の風」「千万人と雖も我行かん」などのリアリズム戯曲で文才の声価を高めた。昭和15年8月の新劇関係者の一斉検挙で逮捕されたが、翌年保釈。戦後はシナリオライターとして活躍。「大曽根家の朝」(木下恵介監督)、「わが青春に悔なし」(黒沢明監督)などの名作のほか「巌頭の女」、「赤いカーディガン」などの劇作を手がけた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
久板栄二郎 (ひさいたえいじろう)
生没年:1898-1976(明治31-昭和51)
劇作家。宮城県生れ。二高在学中から戯曲を書いていたが,1922年東京帝大国文科に入学後,新人会に接近し,プロレタリア戯曲の第一作《犠牲者》(1926)で注目された。その後左翼劇場に入り,日本プロレタリア劇場同盟の中央常任委員として活躍した。劇作家の地位を確立したのは,新協劇団で上演された《断層》(1935)からであり,《北東の風》《千万人と雖(いえど)も我行かん》(ともに1937)などのリアリズム戯曲を発表して,戦前の進歩的演劇を支えた。戦後も《親和力》(1949),《原理日本》(1970)などのほか,映画シナリオ(黒沢明監督《わが青春に悔なし》など)も執筆する精力的な活動をつづけた。
執筆者:菅井 幸雄
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久板栄二郎
ひさいたえいじろう
[生]1898.7.3. 宮城
[没]1976.6.9. 東京
劇作家,シナリオライター。 1927年東京大学卒業。在学中の 26年末,日本プロレタリア芸術連盟 (プロ芸) に参加,『犠牲者』 (1926) など多くの劇作をトランク劇場,前衛座,東京左翼劇場で上演。 34年新協劇団の創立に参加,『断層』 (35) ,『北東の風』 (37) ,『千万人と雖 (いえど) も我行かん』 (37) ,『神聖家族』 (39) などを発表した。 40年の劇団解散以後はシナリオに転じ,第2次世界大戦後の『大曾根家の朝』 (46封切) ,『わが青春に悔なし』 (46封切) などの映画で力量を示した。ほかに戯曲『親和力』 (49) など。
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久板栄二郎【ひさいたえいじろう】
劇作家。宮城県生れ。東大国文科卒。在学中からプロレタリア演劇運動に参加。左翼劇場,新協劇団に加わり《断層》《北東の風》などを発表。シナリオも書き,黒澤明監督《わが青春に悔なし》などがある。
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久板栄二郎 ひさいた-えいじろう
1898-1976 昭和時代の劇作家。
明治31年7月3日生まれ。東京帝大在学中からプロレタリア演劇運動にはいる。昭和9年新協劇団の創立に参加し,「断層」「北東の風」などを発表。戦後は映画脚本家として黒沢明監督の「わが青春に悔なし」,木下恵介監督の「大曾根家の朝」などを手がけた。昭和51年6月9日死去。77歳。宮城県出身。
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久板 栄二郎 (ひさいた えいじろう)
生年月日:1898年7月3日
昭和時代の劇作家
1976年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の久板栄二郎の言及
【わが青春に悔なし】より
…[黒沢明]監督の戦後第1作(《虎の尾を踏む男達》が終戦直後に完成していたが,占領軍の検閲によって公開を保留され,1952年まで公開されなかった)。木下恵介監督の戦後第1作《大曾根家の朝》(1946)とともに戦後の日本の〈民主主義映画〉のさきがけをなした名作で,脚本は《大曾根家の朝》の脚本も書いている戦前からの社会主義リアリズムの劇作家[久板(ひさいた)栄二郎]である。 言論と思想の自由が弾圧された京大の〈[滝川事件]〉と国際スパイ事件と騒がれた〈[ゾルゲ事件]〉をモデルにして,苦境の中で〈自我〉に目覚め〈自我〉を貫いて生きた一人の女性像を描く。…
※「久板栄二郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」