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干支が乙巳にあたる645年(大化1),中大兄皇子(後の天智天皇),中臣鎌子(後の藤原鎌足)らが蘇我大臣家を滅ぼして新政権を樹立した政変。皇極女帝のもとで,皇位継承や政治方針に関し大臣の蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子と対立していた女帝の長子中大兄らは,唐の興隆により国際関係が緊張して高句麗や百済には政変が起き,643年冬には皇位継承の有力候補だった山背(やましろ)大兄皇子(王)一家が入鹿に滅ぼされると,蘇我一族の倉山田石川麻呂(くらのやまだのいしかわのまろ)らを同志として大臣家打倒を決意し,645年6月12日,皇居の正殿で石川麻呂が〈三韓の表文(ひようぶん)〉と称する外交文書を読みあげている最中に,中大兄が率先して入鹿を斬り,雇っていた暗殺者たちがこれを殺し,翌日には蝦夷も護衛兵らに逃亡されて自殺した。その結果,皇極女帝は弟の孝徳天皇に譲位し,中大兄を皇太子,鎌子を内臣,石川麻呂を右大臣などとする新政権が発足し,年号を大化と定め,政治改革に着手した。この政変では中大兄の勇気と鎌子の知謀とが人々の印象に残って〈乙巳の変〉という物語となり,《日本書紀》や《大織冠伝(たいしよくかんでん)》に記録されるにいたった。新政権樹立後の一連の政治改革まで含めて〈大化改新〉とよぶのは近代にはいってからである。
→大化改新
執筆者:青木 和夫
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…こうした蘇我氏独裁の危機が強まるなかで,唐に留学した人たちが帰国して東アジアの新しい動向が伝えられると,豪族の世襲職制と私地私民制を廃し,天皇を中心とした中国の唐のような官僚制的中央集権国家を形成しようとする動きが政界の一部に強まり,その中核となったのが中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)であった。2人は綿密に計画を練り,蘇我石川麻呂らを引き入れて,645年,飛鳥板蓋宮で入鹿を斬殺し,蝦夷も自邸に放火して自殺し,蘇我氏は滅んだ(乙巳の変(いつしのへん))。かくて皇極天皇に代わって弟の孝徳天皇が即位し,中大兄皇子が皇太子,阿倍内麻呂(倉梯麻呂)が左大臣,蘇我石川麻呂が右大臣,中臣鎌足が内臣,また僧旻(みん)(新漢人旻)と高向玄理(たかむくのくろまろ)が国博士となって,旧豪族の合議制による新しい政治体制が樹立され,都も難波に移された。…
※「乙巳の変」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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