大化の改新(読み)タイカノカイシン

デジタル大辞泉 「大化の改新」の意味・読み・例文・類語

たいか‐の‐かいしん〔タイクワ‐〕【大化の改新】

大化元年(645)から翌年にかけて中大兄皇子なかのおおえのおうじ中臣鎌足なかとみのかまたりが中心となって行った、蘇我氏打倒に始まる一連政治改革。唐の律令制手本として、公地公民制による中央集権国家建設を目的としたもの。皇族豪族私有地・私有民の廃止、地方行政制度の確立、班田収授の法の実施、租庸調などの統一的な税制の実施などをうたった改新みことのり公布。大宝元年(701)の大宝律令制定によってその政治制度は確立した。

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精選版 日本国語大辞典 「大化の改新」の意味・読み・例文・類語

たいか【大化】 の 改新(かいしん)

  1. 大化元年(六四五)六月、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)・中臣鎌足(なかとみのかまたり)らが蘇我氏を打倒して開始した、古代の大政治改革。孝徳天皇を立てて都を難波に移し、翌年、皇族・豪族の私有地・私有民の廃止、地方行政組織の確立、戸籍・計帳の作製班田収授法の実施、租・庸・調などによる統一的な税制の実施の四か条から成る改新の詔を公布し、中国の律令制度にならって公地公民制に基づく中央集権的支配体制の形成をめざした。ふつう白雉(はくち)元年(六五〇)までの五年間をさすが、これらの目的が実現するには、壬申の乱(六七二)などを経て大宝律令制定までの日時を要した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大化の改新」の解説

大化の改新
たいかのかいしん

7世紀半ばの一大政治改革。中国の隋唐的律令国家形成の過程で,645年(大化元)中大兄(なかおおえ)皇子・中臣鎌足(なかとみのかまたり)が中心となって,蘇我氏本宗家の政権を倒壊させた乙巳(いっし)の変に続いて,おもに大化年間に行われた。改革の主体は,孝徳天皇・左大臣阿倍内麻呂・右大臣蘇我倉山田石川麻呂・内臣中臣鎌足らであったが,改革派の代表である中大兄皇子と国博士(くにはかせ)となった僧旻(みん)・高向玄理(たかむこのげんり)の役割が重視されている。内容は,地方人民支配に関するものと中央政府内部のものとに大別される。前者は,旧来の部民制を廃して公民制を創出することで,全国を国・評(こおり)(大宝令の郡)に区画し,さらに「五十戸一里制」によって人民を編成する。その開始は,「日本書紀」大化元年(645)8月条の造籍・班田を目的とする東国国司の派遣記事により確認でき,これが東国のみでなく全国的なものであったことも確認できる。その基本方針の決定は,646年元日の改新の詔,同年3月の皇太子奏および同年8月の品部(しなべ)廃止の詔に示されている。その成果としての全国的評制の成立は「常陸国風土記」などの史料により,「五十戸一里制」も飛鳥京跡出土の「白髪部五十戸」木簡により確認される。次に中央の改革は,改新の詔において,部民制の廃止にともない諸豪族に食封(じきふ)・布帛の支給が示され,さらに中央官制構築のため,647年に13階,649年2月に19階の冠位が制定されている。これは推古朝の冠位十二階が対象としなかった大臣など上層部と,職業部の伴造(とものみやつこ)層(百八十部)を含む全官人を包摂したものである。これをうけて,649年2月に高向玄理と僧旻により「八省百官」がおかれたが,これは将作大匠・刑部尚書などの唐直輸入の官名が示すように,なんらかの中国的官制の成立を意味するものと考えられる。これらの官名がその後の改革に継承されていないことから,このような性急な改革は必ずしも実を結ばなかったとみられるが,ある程度の中央官制の整備は認められよう。652年(白雉3)に完成した難波長柄豊碕(なにわのながらのとよさき)宮(前期難波宮)は,規模・構造の両面でのちの藤原宮に匹敵するもので,大化の改新の政治改革のいちおうの終結を示すものといえる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大化の改新」の解説

大化の改新
たいかのかいしん

645(大化元)年に始まる政治大改革
6世紀後半,蘇我氏の勢力は大王家をもしのぐ状態であったため,聖徳太子のあとをうけて,645年中大兄皇子 (なかのおおえのおうじ) は中臣鎌足・蘇我倉山田石川麻呂らとはかり蘇我氏を倒した。孝徳天皇をたて,中大兄皇子が皇太子,阿倍内麻呂を左大臣,蘇我倉山田石川麻呂を右大臣,中臣鎌足を内臣 (うちつおみ) ,僧旻 (みん) ・高向玄理 (たかむこのげんり) を国博士とし,新たに年号を大化と定め,都を難波に遷し,諸政刷新にのりだした。これを大化の改新という。新政の方針は,646(大化2)年正月の改新の詔に示されているとおり,第一に私地・私民を改めて公地・公民とし,第二に国・郡・里の地方行政制度を定めて国司・郡司に行政を行わせ,第三に戸籍・計帳をつくり班田収授法を実施し,第四に租・庸・調の統一税制を確立したことであり,豪族勢力を抑え,中央集権国家に向かって第一歩を進めた。改新の方針は,やがて律令体制に結実した。

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防府市歴史用語集 「大化の改新」の解説

大化の改新

 7世紀の中ごろに行われた政治改革のことです。645年、中大兄皇子[なかのおおえのおうじ]と中臣鎌足[なかとみのかまたり]たちが中心になって、蘇我[そが]氏をたおしたことにはじまって、これまで豪族[ごうぞく]のものだった民衆を国のものにしたり、地方を国と評[こおり]に区画したりなど、これまでの政治を大きく変えようとしました。

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デジタル大辞泉プラス 「大化の改新」の解説

大化の改新

海音寺潮五郎の歴史小説。1959年刊行。

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