和歌山県北部、伊都(いと)郡にある町。1910年(明治43)町制施行。1955年(昭和30)河根(かね)村を合併。かつてこの地が瓦(かわら)を焼く村であったことから「くど」(かまどの意)とよばれ、これが町名の由来という。高野山(こうやさん)北麓(ほくろく)を流れる丹生(にう)川が紀の川と合流する地にあり、紀の川北岸の橋本市と相対し、高野街道の渡津、また紀の川水運の河港として発達した。南海電鉄高野線、国道370号が通じる。弘法(こうぼう)大師空海が母の廟(びょう)とした慈尊院は、寺領を支配する高野政所(こうやまんどころ)でもあり、高野山上の石塔もここから陸揚げされた。参詣(さんけい)路に立つ町石道(国史跡)もここから始まる。また、慈尊院と丹生(にう)官省符神社は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(文化遺産)に含まれている。木材集散地で、ミカン栽培のほか富有(ふゆう)ガキを特産する。高野山町石道玉川峡県立自然公園や真田幸村(さなだゆきむら)隠棲(いんせい)の地真田庵(あん)(善名称院(ぜんみょうしょういん))が知られる。面積44.15平方キロメートル、人口3856(2020)。
[小池洋一]
『『九度山町史』(1965・九度山町)』▽『『九度山町史 改訂』全3冊(2000~2004・九度山町)』
和歌山県北東部,高野山の北麓にある伊都郡の町。人口4963(2010)。高野山から流下する丹生川と紀ノ川の合流点の南岸にあり,町域の大部分は紀伊山地北縁の山地である。古くから高野山参詣路の要地で,対岸の橋本市の旧高野口町と相対する渡津として発展した。中世までは高野山領を統轄した高野政所が慈尊院に置かれ,高野山の登山口,経済の中心地として重きをなした。近世には木食(もくじき)応其が開いた高野街道が町内の河根(かね)を通り,河根は宿場として繁栄した。町の中心地九度山は近世には高野山への荷揚場,木材の集積地で,現在は高野山登山道の基点となり,南海電鉄高野線,高野山有料道路(1987年無料開放)が通る。ミカン,柿などの栽培を中心とする農林業が町の基幹産業で,特に富有柿の産地として有名。また古くからの製材業,織物業も盛んである。慈尊院は高野山大門に通ずる町石道(ちよういしどう)の起点で,一町ごとに町石卒塔婆が残る。慈尊院の弥勒堂は重要文化財,木造弥勒仏座像は国宝。丹生官省符神社社殿は重要文化財。九度山に真田昌幸,幸村が関ヶ原の戦後に幽閉された真田庵がある。
執筆者:上田 雅子
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