九暦(読み)きゅうれき

改訂新版 世界大百科事典 「九暦」の意味・わかりやすい解説

九暦 (きゅうれき)

大臣藤原師輔日記。もとは930年(延長8)ころより960年(天徳4)に没するまで約30年間にわたったものと思われるが,今はその一部分が(1)零細な断簡,(2)本記を抄出した《九暦》,(3)記事を事項別に分類した部類記である《九条殿記》,(4)師輔の父忠平の教命(きようみよう)を筆録した《九暦記》,(5)諸書に引用された逸文,として伝わり,これらを総称して《九暦》という。本来この名称は(2)の抄出本に付されたものであるが,この写本が広く流布して著名であることから,全体の総称として用いられるようになった。書名の由来は,師輔の邸が九条にあったことによる。天理図書館宮内庁書陵部に(3)の《九条殿記》が,陽明文庫に(4)の《九暦記》が存し,ともに平安末期の古写本である。《大日本古記録》《続々群書類従》所収
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「九暦」の意味・わかりやすい解説

九暦
きゅうれき

藤原師輔(もろすけ)の日記。師輔が九条殿とよばれたことにより、また日記は具注暦(ぐちゅうれき)に書き記すことが常だったことから、その名がある。930~960年(延長8~天徳4)の30年にわたる日記が元はあったと思われるが、現在は原形を失い、『九暦抄』『九条殿記』『九暦記』の形となって現存する。また、『西宮記(さいぐうき)』などに多く引用され、『九記』『九条記』ともよばれている。『九暦抄』1巻は、目録のような簡単な部分と年中行事儀式に関するやや記事の詳しいものとがあり、この抄録は本記だけでなく別記(『九条殿記』)からも抄していることが明らかである。『九条殿記』3巻の内容は、年中行事を部類分けした別記(部類記)であり、本記の日記とは別に師輔自身が儀式作法を正しく行わんがためにつくったものである。これは、師輔の著『九条年中行事』に直接つながるものであった。また『九暦記』1巻は『貞信公教命』ともいわれ、父忠平(ただひら)(太政(だいじょう)大臣)の教えのことばを師輔がそのまま伝授したものであり、『九条殿記』『九暦記』とはそれぞれ独立してつくられたものである。いずれも師輔の儀式作法、有職(ゆうそく)についての関心の深さを示すものであり、「大日本古記録」に所収されている。

山中 裕]

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百科事典マイペディア 「九暦」の意味・わかりやすい解説

九暦【きゅうれき】

右大臣藤原師輔(もろすけ)の日記。師輔が京都九条に住んだこと,および当時の日記は具注暦(ぐちゅうれき)に記されるのが普通であったことから,のち《九暦》と称された。930年頃から960年に死去するまでの日記と思われるが,完全本は残っていない。したがって,本記を抄出した《九暦》,記事を事項別に分類した《九条殿記(くじょうどのき)》,師輔の父忠平(ただひら)の儀式に関しての言葉を筆録した《九暦記》などが伝わり,広く流布していた《九暦》がこれらの総称となった。→藤原忠平貞信公記

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「九暦」の意味・わかりやすい解説

九暦
きゅうりゃく

「きゅうれき」とも読み,『九記』『九条殿御記』ともいう。藤原師輔の日記。1巻。天暦1 (947) 年から同3年までと,天徳1 (957) 年から同4年までの記事が現存。『大日本古記録』所収。

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世界大百科事典(旧版)内の九暦の言及

【藤原師輔】より

…父忠平の故実を伝え,兄実頼の小野宮流とはその面でも競争関係にあった。《九条年中行事》《九条殿遺誡》や日記《九暦》を残している。960年病により出家し同年没した。…

※「九暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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