二十四組問屋(読み)ニジュウヨクミドイヤ

デジタル大辞泉 「二十四組問屋」の意味・読み・例文・類語

にじゅうよくみ‐どいや〔ニジフよくみどひや〕【二十四組問屋】

江戸時代大坂江戸問屋仲間。17世紀末に成立当初10組、のち24組。同じころ成立した江戸の十組問屋とくみどいやと結んで、大坂から江戸へ積み出す荷物を独占的に取り扱った。

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百科事典マイペディア 「二十四組問屋」の意味・わかりやすい解説

二十四組問屋【にじゅうしくみどんや】

二十四組積荷問屋とも。江戸時代の大坂の株仲間組合。江戸の十組(とくみ)問屋と結び大坂から江戸へ積み出す荷物を独占的に扱い,菱垣(ひがき)廻船輸送。17世紀末には10組だったが,のち24組。天保改革解散し,のち九店(くたな)仲間とこれに付属する十三店に引き継がれた。
→関連項目問屋

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二十四組問屋」の意味・わかりやすい解説

二十四組問屋
にじゅうよくみどんや

大坂菱垣廻船積問屋二十四組ともいう。大坂の江戸積問屋仲間元禄7 (1694) 年江戸の十組問屋 (とくみどんや) とほぼ同時期に結成され,最初は 10組であったが享保年間 (1716~36) に 24組となった。十組問屋の注文により商品を買継ぎ,従属する菱垣廻船で独占的に商品輸送を行なった。積荷は木綿,酒,油,酢,醤油,紙,金物など日用雑貨が多かった。天明4 (84) 年株仲間が公許されたが幕末期には次第に衰退,江戸-大坂間の商取引は円滑を欠いていた。株仲間の解散により天保 12 (1841) 年解散,嘉永4 (51) 年にはいったん再興したが,明治維新によって解散。

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世界大百科事典 第2版 「二十四組問屋」の意味・わかりやすい解説

にじゅうしくみどんや【二十四組問屋】

江戸時代,大坂において菱垣(ひがき)廻船による大坂・江戸間の商品輸送を独占した買次問屋で,大坂二十四組問屋,二十四組江戸積問屋とか,大坂表買次問屋,二十四組買次問屋などともいった。江戸十組(とくみ)問屋の注文に応じて,大坂で江戸積商品を集荷し,この仕入荷物を運送にあたる大坂菱垣廻船問屋に託することを業務とした。その発端は,1694年(元禄7)に江戸の大坂屋伊兵衛が発起人となって江戸の菱垣廻船積合荷主が協議し,江戸十組問屋を結成したが,それに対応して,大坂においても十組問屋が成立した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「二十四組問屋」の解説

二十四組問屋
にじゅうしくみどいや

近世,大坂における問屋仲間の連合体。江戸向け商品を買い継ぎ,菱垣(ひがき)廻船でこれを積み送る問屋商人によるもので,注文主である江戸問屋の十組(とくみ)問屋結成に対応して1694年(元禄7)10組で結成(大坂表十組問屋)。18世紀以降の拡大により安永年間には24組の構成が確定した。当初は内仲間だったが,1784年(天明4)二十四組江戸積問屋仲間として347株が公認された。1841年(天保12)の株仲間解散令により解散したが,これに代わり海損処理を行うものとして46年(弘化3)に九店(くたな)仲間が設定された。51年(嘉永4)の株仲間再興時に復活,明治初期まで廻漕社・東京積合社などとして存続した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「二十四組問屋」の解説

二十四組問屋
にじゅうよくみどいや

江戸時代,大坂における江戸積問屋の組合
17世紀末に江戸の十組問屋とほぼ同じころ結成。最初10組,のち増加し24組となり,1784年に株仲間として公認された。大坂から江戸への積荷を独占し,菱垣廻船で輸送。江戸十組問屋との間に積荷の種類や船荷損失の負担を協定した。1841年天保の改革で解散させられたが,'51年再興し幕末に至った。

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