下田村南部の
川の名は垂仁天皇の皇子五十日足彦命が下田郷へ下り農耕治水の技術を伝え開発したという伝えにちなむという。文禄五年(一五九六)九月一六日の直江兼続条書(越佐史料稿本)に「いからし川かこせき甘糟方へ書状」とみえる。中世から近世初期にかけての河道は、下田郷では
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
新潟県の中央を横断する信濃川(しなのがわ)の支流。源を新潟・福島県境付近にある烏帽子(えぼし)山(1350メートル)に発し、下田盆地(しただぼんち)を流れて三条市で信濃川に合流する。延長40.8キロメートル。上流の下田盆地は中世、五十嵐氏の所領で、式内社五十嵐神社や八木ヶ鼻(やぎがはな)の名勝地がある。五十嵐川は八木ヶ鼻で大谷(おおや)川と守門(すもん)川に分かれ、大谷川筋には笠堀(かさぼり)ダムがあり、また、ニホンカモシカの密集生息地(国指定天然記念物)として知られる。守門川の谷は旧八十里越(ごえ)の山路で、国道289号の全通に向け工事が進められている。近世、下田郷(ごう)は三条金物の鍛冶炭(かじたん)産地で、五十嵐川の水運を利用して三条に運ばれた。最近は奥地のダム開発を生かした観光開発に力が注がれている。
[山崎久雄]
…人口1万2017(1995)。信濃川支流五十嵐川流域を占め,川沿いの低地と福島県境をなす山地からなる。古くから下田郷と呼ばれた地で,中世には土豪五十嵐氏の支配下にあった。…
※「五十嵐川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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