ごじょう‐の‐はしゴデウ‥【五条橋】
- 平安京の五条大路の東端から鴨川にかかる橋。天正一七年(一五八九)豊臣秀吉が大仏殿参道とするため六条坊門小路に移し、通りの名も五条橋通り、次いで五条通りと呼ばれるようになる。〔園太暦‐康永三年(1344)八月一五日〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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五条橋
ごじようばし
[現在地名]中区丸の内一丁目、西区那古野一丁目
五条町の西と大船町(現西区)との間の堀川に架かる。川端の土蔵の白壁に青緑の擬宝珠が調和し、堀川随一の名橋の名に恥じない(尾張名所図会)。ことに五条町のなだらかな上り坂を背景にした西詰からの景観がよい。斯波氏の清須在城の頃、城門の前、五条川に渡してあったため御城橋ともいい、その土地を上畠とよんだところから上畠橋とも称せられた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の五条橋の言及
【橋姫】より
…橋のたもとに橋姫とか橋姫明神とかいって,橋の神霊がまつられることが多い。山城の宇治の橋姫や摂津の長柄(ながら)の橋姫は有名だが,京都の五条橋(今の松原橋)や近江の瀬田橋のたもとにも橋姫がまつられていた。橋姫は,宇治の橋姫のように,嫉妬深い鬼神とされる場合が多い。…
※「五条橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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