デジタル大辞泉
「井伊谷宮」の意味・読み・例文・類語
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いいのや‐ぐうゐいのや‥【井伊谷宮】
- 静岡県浜松市引佐(いなさ)町井伊谷にある神社。旧官幣中社。後醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)親王の墓所の前に明治五年(一八七二)造営。新宮さん。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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井伊谷宮
いいのやぐう
[現在地名]引佐町井伊谷
神宮寺川右岸に位置し、南に龍潭寺がある。祭神は後醍醐天皇皇子の宗良親王。旧官幣中社。明治元年(一八六八)明治新政府は神祇官を復活し山陵の修復などに着手した。これに対し、井伊谷を訪れた宗良親王の墓碑と親王の諡号冷湛寺殿の霊牌を守護してきた龍潭寺と、南朝方として親王に忠誠を尽した井伊氏の後裔近江彦根藩井伊直憲が、ともに親王の法施・祭典を荘厳に執行したい旨の申請を政府に起こした。同年一二月、墓域の修理・補修を手伝うことを許されて裁可された(以上、龍潭寺文書・井伊谷宮文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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井伊谷宮
いいのやぐう
静岡県浜松市北区引佐(いなさ)町井伊谷に鎮座。祭神は後醍醐(ごだいご)天皇の皇子、宗良親王。親王は比叡山(ひえいざん)門跡寺院妙法院に入り尊澄(そんちょう)法親王と称し、天台座主(ざす)となったが、足利尊氏(あしかがたかうじ)が背くや還俗(げんぞく)し、征東将軍として遠江(とおとうみ)(静岡県)、駿河(するが)(静岡県)、信濃(しなの)(長野県)、甲斐(かい)(山梨県)、美濃(みの)(岐阜県南半部)、越中(えっちゅう)(富山県)、越後(えちご)(新潟県)などを転戦。1385年(元中2・至徳2)当地で崩じたと伝える。
1868年(明治1)神社造営の議がおこり、彦根(ひこね)藩主井伊直憲(いいなおのり)が先祖の縁で尽力、1872年に遷座した。旧官幣中社。例祭は9月22日。
[平泉隆房]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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