享徳の乱(読み)きょうとくのらん

改訂新版 世界大百科事典 「享徳の乱」の意味・わかりやすい解説

享徳の乱 (きょうとくのらん)

1454年(享徳3)より82年(文明14)まで続いた関東の大乱。永享の乱(1438)ののち鎌倉公方(くぼう)は置かれていなかったが,1449年(宝徳1)8月足利持氏の遺子永寿王が京都から迎えられ,元服して成氏と称した。永寿王は結城(ゆうき)合戦でただ一人助かった持氏の末子である。一方,関東管領は上杉憲実の子憲忠が任ぜられており,成氏と憲忠の間はうまくいかなかった。成氏は下向すると千葉,小山,宇都宮らの豪族層を重用したため,山内上杉憲忠扇谷上杉顕房の両上杉氏やその執事である長尾景仲,太田資清らとの間に不穏な空気が流れはじめ,翌年4月成氏は鎌倉から江ノ島に移り,長尾,太田らがこれを攻めるという事態となった。両者は一時和睦したが,54年12月成氏が憲忠をその第に召して謀殺するに及び,成氏と両上杉との間の対立は決定的となり,四半世紀をこえる享徳の乱が勃発した。長尾景仲らは上杉憲実の次男房顕を京都から迎えて山内上杉家を相続させて関東管領となし,また幕府上杉房顕を助けて成氏を討つこととし,今川範忠大将として鎌倉に攻め込ませた。ために成氏は鎌倉から下総古河に走り,房顕は上野から鎌倉に移った。55年(康正1)のことである。57年(長禄1)12月,将軍義政は弟の天竜寺香厳院主を還俗させて政知と名のらせ関東に派遣した。しかし東国の武士層は必ずしも政知に服さず,伊豆堀越に居を構え,鎌倉に入ることはできなかった。以後成氏は古河公方,政知は堀越(ほりごえ)公方と呼ばれた。関東管領上杉房顕らは堀越公方政知を奉じて成氏としばしば合戦に及んだが,房顕は66年(文正1)没し,越後守護上杉房定の子顕定がその跡を継いだ。しかし堀越公方や顕定の力ではもはや東国全域を支配下に置くことは無理であった。そのため82年成氏が幕府に和睦を請うたのを好機に,伊豆国を政知の料所とするという条件で和睦が成った。
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百科事典マイペディア 「享徳の乱」の意味・わかりやすい解説

享徳の乱【きょうとくのらん】

1454年(享徳3年)から1482年まで続いた関東の大乱。鎌倉公方(くぼう)の足利成氏(しげうじ)が,関東管領(かんれい)の両上杉氏(山内上杉・扇谷上杉)と対立,成氏が上杉憲忠を謀殺し勃発。その後,下総(しもうさ)古河(こが)に走った成氏(古河公方)と,将軍義政(よしまさ)から関東に派遣され伊豆(いず)堀越(ほりごえ)に居を構えた弟の政知(まさとも)(堀越公方)が対立。上杉氏は政知を奉じて成氏としばしば戦ったが,東国武士もそれぞれを支持し,お互いに東国全域を支配下にできないまま和睦した。
→関連項目平井城

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「享徳の乱」の解説

享徳の乱
きょうとくのらん

15世紀後半の東国の戦乱。足利成氏(しげうじ)が1478年(文明10)頃まで享徳年号を使用したことによる名称。当初は関東管領上杉憲忠および長尾・太田氏と,鎌倉公方成氏および結城・小山氏ら豪族の間の対立抗争だったが,1454年(享徳3)末に成氏が憲忠を殺害したため,55年(康正元)幕府の追討をうけ,幕府・上杉方と成氏方の対立に拡大。今川範忠が幕命により鎌倉に進攻すると成氏は下総国古河(こが)に拠った。幕府は57年(長禄元)成氏に対抗するため,堀越(ほりごえ)公方として足利政知を伊豆へ派遣。上杉方は武蔵国五十子(いかこ)の陣に拠り,利根川を挟み成氏方とにらみあったが,76年(文明8)長尾景春反乱で上杉方は崩壊。翌年末上杉顕定と成氏は和睦。幕府と成氏も82年に和睦。

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世界大百科事典(旧版)内の享徳の乱の言及

【上野国】より

…禅秀の乱は山内,犬懸両上杉氏の内部抗争であるが,新田岩松満純は犬懸上杉氏憲(禅秀)に味方して誅殺されてしまう。1454年(享徳3)再興された鎌倉公方足利成氏は上杉憲忠を誅殺し,ここに公方・管領をそれぞれの頂点として,関東の諸勢力は二つに分かれて相争う(享徳の乱)。この乱は78年(文明10)まで4分の1世紀にわたって行われ,上杉方は惣社,白井,鎌倉(のちに足利)の三長尾氏や上州一揆,武州一揆に支えられて,上野や武蔵を押さえて,下総古河を拠点とし,小山氏,結城氏などの下野,下総の伝統的豪族に支えられた足利成氏(古河公方)に対抗する。…

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