朝日日本歴史人物事典 「京極高秀」の解説
京極高秀
生年:嘉暦3(1328)
南北朝時代の守護大名。導誉の子で,兄秀綱や秀宗が若くして戦死したため,京極家を継ぐこととなる。高秀は導誉の死後,出雲国や飛騨国の守護に補任されるとともに,評定衆や侍所頭人にも任命されている。室町幕府内部における権限は大きく,特に康暦1(1379)年の康暦の政変では,管領細川頼之追放の首謀者のひとりとして暗躍している。なおこの事件によって,一時近江(滋賀県)の甲良にある居館に逼塞していたが,将軍足利義満に赦免されて再び政治の中枢に関与した。<参考文献>『東浅井郡志』1巻
(宇野日出生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報