京極高秀(読み)きょうごく・たかひで

朝日日本歴史人物事典 「京極高秀」の解説

京極高秀

没年明徳2/元中8.10.11(1391.11.7)
生年嘉暦3(1328)
南北朝時代の守護大名導誉の子で,兄秀綱や秀宗が若くして戦死したため,京極家を継ぐこととなる。高秀は導誉の死後,出雲国や飛騨国の守護に補任されるとともに,評定衆や侍所頭人にも任命されている。室町幕府内部における権限は大きく,特に康暦1(1379)年の康暦の政変では,管領細川頼之追放首謀者のひとりとして暗躍している。なおこの事件によって,一時近江(滋賀県)の甲良にある居館に逼塞していたが,将軍足利義満に赦免されて再び政治の中枢に関与した。<参考文献>『東浅井郡志』1巻

(宇野日出生)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「京極高秀」の解説

京極高秀(1) きょうごく-たかひで

1328-1391 南北朝時代の武将
嘉暦(かりゃく)3年生まれ。佐々木(京極)高氏の3男。兄京極秀綱,秀宗の死後家督をつぎ,飛騨(ひだ)・出雲(いずも)守護,室町幕府の侍所頭人などを歴任。管領(かんれい)細川頼之の追放をはかって足利義満にそむいたが(康暦(こうりゃく)の政変),まもなくゆるされた。明徳2=元中8年10月11日死去。64歳。

京極高秀(2) きょうごく-たかひで

?-1556 戦国時代の武将。
京極高峯(たかみね)の子。近江(おうみ)守護。12代将軍足利義晴が三好元長に追われて近江(滋賀県)の朽木稙綱(くつき-たねつな)をたよると,それにしたがう。その後も細川晴元に京都を追われた義晴にしたがう。義晴の没後は居城の近江上平寺城にひきこもった。弘治(こうじ)2年死去。初名は高家。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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