桶や樽をつくる職人。桶結師(おけゆいし)とか桶大工ともいわれた。樽をつくる樽屋と分けて呼ぶこともあるが,両者を区別せずに江戸では桶屋,京坂では樽屋と呼ぶことが多いと,《守貞漫稿》は書いている。桶はスギやサワラの細長い板を円形に並べて側(がわ)とし,板の底をつけ,細長い割竹の箍(たが)でしめた造り物で,水桶,菜桶,鮨桶といった容器や火桶,腰桶といった調度として,古代中期には一般にも使われていた。桶結が独立した職人となったのは中世後期になってからで,奈良興福寺の大乗院の管理下に桶結座が組織されていた。近世からは製造と販売とを兼ねる居職の桶屋があらわれ,城下町などでは集住して桶屋町や樽屋町をつくっていた。桶屋役というのは,営業の保障に対して領主に提供,貢納する無償の労務や生産品で,のちには銭納されるようになった。桶や樽は箍がこわれることが多いので,修理のために出職するものもあり,町や村をめぐり歩くものもいた。彼らは木づち,へら,のこぎり,小刀,ならしなどの工具を道具箱に入れ,たばねた竹の箍をかついで持ち歩いた。割竹のほかに金箍(かなたが)を使うようになったのは,近世末期か近代になってからのことであろう。
執筆者:遠藤 元男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
桶を生産する職人。古くは桶結(おけゆい)師とか桶大工ともいわれた。桶はスギ・サワラの細長い板を円形に並べて側(かわ)とし、板底をつけ、細長い割竹の箍(たが)で締めた作り物で、日常生活の水桶、みそ桶などの容器、または火桶、腰桶(腰掛の一種)といった調度として、10世紀には一般にも使われていた。独立した職人となったのは15世紀のことで、容器として庶民生活の必需品となってきたし、17世紀からは、製造と販売を兼ねる居職(いじょく)の桶屋が成立し、城下町などでは集住して桶屋町をつくっていた。樽(たる)もこの桶屋のつくるもので、桶や樽は箍が壊れることが多いので、修理のための出職(でしょく)の者もいた。工具には木槌(きづち)、鋸(のこぎり)、小刀、ならしなどがあった。出職のときは道具箱に入れて竹の箍とともに携帯していた。近年は、新しい材料の生活用具に需要が奪われて、仕事は少なくなってきている。
[遠藤元男]
…この弘法大師がまた聖徳太子と混同して語り伝えられ炭焼きも太子様を信仰した。 関西以西では木樵,木挽,炭焼きのほかに大工,左官,石屋,桶屋などの職人ももっぱら太子様を信仰し,太子講を組んでまつりをした。これは農村の大師講すなわちダイシコウと区別してタイシコウと呼ばれ,祭日も大師講とちがっているのが普通である。…
※「桶屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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