浅間山の南西麓が千曲川に落ち込む辺り、南は
長享元年(一四八七)大井伊賀守光忠が現本町付近に築いたという
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
戦国期~江戸期の城。長野県小諸市丁にある連郭(れんかく)式の平山城(ひらやまじろ)。現在、城址(じょうし)一帯は懐古(かいこ)園となり、島崎藤村(とうそん)の「小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ……」の詩で全国的に名が知られている。戦国期のこの地の領主は大井氏、1487年(長享1)現城址のやや北に大井光忠(みつただ)が築いた鍋蓋(なべぶた)城が始まりといわれている。武田信玄(しんげん)の信濃(しなの)侵攻により、小諸城は東信濃の拠点とされ、信玄は一族の武田信豊(のぶとよ)を置いていた。武田氏滅亡後は徳川家康の領有となり、依田(よだ)(芦田(あしだ))康国(やすくに)が入った。のち仙石秀久(せんごくひでひさ)が5万石で入城して大改修を施し、現在の規模になり、松平、青山、酒井、西尾、石川などの譜代(ふだい)大名が入り、牧野康重(やすしげ)が1702年(元禄15)に入って幕末まで相継いだ。天守台と大手門、三ノ門が現存している。
[小和田哲男]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…第2次大戦までは製糸業が発達したが,現在は電気などの工業が立地している。かつて小諸義塾の教師をしていた島崎藤村の詩《千曲川旅情のうた》で名高い小諸城の跡は,現在懐古園と呼ばれる公園になっており,園内には藤村記念館,小山敬三美術館,火山博物館,動物園があり,観光客が多い。また市内には菱野温泉,高峰高原などの観光地がある。…
※「小諸城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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