伊勢街道(読み)イセカイドウ

デジタル大辞泉 「伊勢街道」の意味・読み・例文・類語

いせ‐かいどう〔‐カイダウ〕【伊勢街道】

伊勢神宮への参詣路の総称東海道四日市追分から南下する参宮街道や、大和桜井から初瀬はせを経て青山峠を越える初瀬街道などがある。

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精選版 日本国語大辞典 「伊勢街道」の意味・読み・例文・類語

いせ‐かいどう‥カイダウ【伊勢街道】

  1. 伊勢神宮への参詣路の総称。東海道の四日市追分から南下する参宮街道や、大和の桜井から初瀬を経て青山峠を越える初瀬街道などがある。

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日本歴史地名大系 「伊勢街道」の解説

伊勢街道
いせかいどう

大和と伊勢を結ぶ主要道をいう。古代以来伊勢参宮の道であるばかりか、東国地方に通じる道として重要であった。近世には各地に伊勢講ができ、大坂や和歌山方面からのお伊勢参も盛んとなった。その主要道は伊勢北街道・伊勢本街道・伊勢南街道(紀州街道)の三路である。

北街道・本街道は桜井(現桜井市)から初瀬はせ川をさかのぼり、初瀬(現桜井市)を経て萩原はぎはら(現宇陀郡榛原町)ふだつじで分れるまでは同じで、札の辻の文政一三年(一八三〇)の道標には「右いせ本街道 左あをこえ道」とある。北街道はあお越といい、ここから東北へ向かい、三本松さんぼんまつ(現宇陀郡室生村)を経て伊賀の名張なばり(現三重県名張市)に出、阿保あお(青)越三里を経て伊勢国一志郡に入り、六軒ろつけん(現松阪市)で北からの参宮街道に合する。


伊勢街道
いせかいどう

伊勢から伊良湖いらごに渡海し、太平洋沿いに渥美半島を縦貫して、白須賀しらすか(現静岡県浜名郡)で東海道に合する道は、古来伊勢街道とよばれ、熊野くまの街道ともいわれた。「和漢三才図会」に「伊良虞崎、在当国之南際、入海之崎、自此艮至白須賀、十三里」とあり、俗に「片浜かたはま十三里」という。文治二年(一一八六)西行が伊良湖から鎌倉に至る紀行の歌が「山家集」にある。

<資料は省略されています>

街道に関する資料は少ないが、古代この地方は伊勢・熊野との交渉が深く、神宮領の神戸・御園御厨が集結し、毎年神宮への調進物が輸送され、当郡各地に散在した山伏寺から熊野参詣の信者で賑ったことが考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊勢街道」の意味・わかりやすい解説

伊勢街道
いせかいどう

伊勢神宮の参宮路で初瀬 (はせ) 街道 (大和,伊賀,伊勢を結ぶ古くからの街道。現在の国道 165号線) ,伊勢別街道 (東海道の関,津を経て,伊勢神宮にいたる街道) ,参宮街道 (東海道の四日市追分から伊勢神宮にいたる街道) などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の伊勢街道の言及

【伊勢路】より

…広くは伊勢神宮への路すべてを指すが,一般には東海道から鈴鹿駅で分かれて,伊勢神宮に至る伊勢街道をいう場合が多い。江戸時代には脇街道の一つで五街道に次ぐ重要街道であった。…

【関所】より

…なかでもひどかったのが淀川筋に置かれた淀河上関(よどのかわかみのせき)である。また伊勢街道でも参宮者目当ての関が桑名より日永までわずか4里の間に60余ヵ所,伊勢一国で120にのぼる関が設置されていた。こうした関所の管理は領主の代官によって行われたが,近江などでは山門の山徒や六角氏の被官による守護請が行われており,京都の七口などでは富有な商人がこれを請け負っている。…

※「伊勢街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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