江戸後期の医者、儒学者。備後(びんご)国(広島県)福山藩医の家に生まれ、名は信恬(のぶさだ)、字(あざな)は憺甫(たんほ)、通称辞安、蘭軒は号。文化(ぶんか)(1804~1818)の初年に長崎に行き清(しん)国の医家と交わった。のち江戸に出て、医学を目黒道琢(どうたく)(1724―1798)、武田叔安(しゅくあん)(1700―1774)らに、本草(ほんぞう)を太田大洲(澄元(ちょうげん))(1721―1795)らに、儒学を泉豊洲(ほうしゅう)(1758―1809)に学んだ。儒学では狩谷棭斎(かりやえきさい)と同門で、ともに書を集め書誌学をよくした。父の跡を継いで福山藩医となり、儒官も兼ねた。門人には渋江抽斎(ちゅうさい)、森枳園(きえん)(立之(たつゆき))らがいる。なお森鴎外(おうがい)の史伝小説に『伊沢蘭軒』(1916~1917)がある。
[大鳥蘭三郎]
1777.11.11~1829.3.17
江戸後期の医学者・儒者。名は信恬(のぶさだ),号は蘭軒など。備後国福山藩侍医伊沢長安の長男として江戸に生まれる。目黒道琢(どうたく)・武田叔安(しゅくあん)らに師事し医学を学び,また儒学・本草学も修めた。1806年(文化3),長崎に遊学し唐人医師と交わり,のち福山藩の侍医・儒官となった。門人に森立之(りっし)・渋江抽斎(ちゅうさい)らを出し,頼山陽・大田南畝(なんぽ)らと親交があった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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