平安中期の文人。音人(おとんど)の孫、玉淵(たまぶち)の子。維時(これとき)は従弟。後江相公(のちのごうしょうこう)と称された。大学寮を経て、おもに弁官を歴任、その間文章博士(もんじょうはかせ)にも任じ、参議に上る。954年(天暦8)撰(せん)国史所別当となり『新国史』の編纂(へんさん)に携わる。正四位下に至り、天徳(てんとく)元年12月28日没。10世紀前半の代表的文人で、元号の勘申(かんじん)、詔勅・上表・詩序の制作などに活躍し、学問の世界における大江氏の地位の確立に大きく寄与した。書にも優れる。著作に『後江相公集』『倭注切韻(わちゅうせついん)』があったが散逸。詩文は『扶桑(ふそう)集』『類聚(るいじゅう)句題抄』『本朝文粋(ほんちょうもんずい)』その他に多く残る。『本朝文粋』『和漢朗詠集』にはそれぞれ第1位、第3位の編数の入集(にっしゅう)があり、後の時代に愛好されたことを物語る。
[後藤昭雄]
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(古谷稔)
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…《日本三代実録》に次ぐ。936年(承平6)から969年(安和2)にかけて撰国史所が置かれ,大江朝綱らが別当として史書の編纂にあたったことが知られるが,未定稿のままに終わったとみられる。12世紀の《通憲入道蔵書目録》等に見え,宇多・醍醐天皇代40巻のものと,朱雀天皇代の記事を加えた50巻のものとがあったらしい。…
…道風の署名はないが,奥書に藤原定信が保延6年(1140)にこの書を入手した際に記した識語がある。それによると本書は,延長6年(928)道風が勅命によって,宮中の屛風に書写したときの下書きで,大江朝綱の詩を書いたもの。この鑑定の内容は,《日本紀略》の記事とも合致し,本書は道風の真筆とされる。…
…兼明や順に見られる藤原氏専制下における批判は,和歌や日本語散文の世界よりも漢文学の世界に現れるのは注目すべきところである。紀長谷雄(きのはせお)《貧女吟》は深窓に養われた美女もいまや老いて病む貧しい独居生活を描写し,大江朝綱(あさつな)《男女婚姻賦》はポルノグラフィックな戯文としてともに異色の作。巻二は詔,勅書,勅答,位記,勅符,官符,太政官符,意見封事など公文書の類,実用的文例を収める。…
※「大江朝綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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