伯家神道(読み)ハクケシントウ

デジタル大辞泉 「伯家神道」の意味・読み・例文・類語

はくけ‐しんとう〔‐シンタウ〕【伯家神道】

はっけしんとう(伯家神道)

はっけ‐しんとう〔ハクケシンタウ〕【伯家神道】

平安末期から神祇しんぎ伯を世襲した白川家に伝えられた神道流派白川神道

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精選版 日本国語大辞典 「伯家神道」の意味・読み・例文・類語

はっけ‐しんとうハクケシンタウ【伯家神道】

  1. 〘 名詞 〙 神道の一派花山天皇の皇子清仁親王の子延信(のぶざね)王を祖とする神祇伯白川家の唱道した神道。江戸時代になって体系化。神祇官としてまつった宮中・京中・五畿・七道諸国天神地祇のすべてを主神とし、古事記・日本書紀などを経典とする。白川神道。

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改訂新版 世界大百科事典 「伯家神道」の意味・わかりやすい解説

伯家神道 (はっけしんとう)

白川家の神道で,白川神道ともいう。白川家は花山天皇の皇子清仁親王の子延信王の後胤で,王は1025年(万寿2)臣下に下り,後に神祇伯に任ぜられ,子孫代々この職に任ぜられたので伯家ともいう。伯に任ぜられたとき王号を賜うのが例であったので,王氏とも称せられた。しかし後には,神祇大副の吉田家が神祇管領と称し神祇官の実権を握ったので伯家の勢力は衰え,これに対抗するため神号を授け,伯家拝揖(はいゆう)式の許状を出し,《伯家部類》を編集して自家の地位を明らかにしようとした。また学頭森昌胤は《神道通国弁義》を著して伯家神道の意義を示し,国学者平田篤胤を招いて自家所属の神職に神道を学ばせた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伯家神道」の意味・わかりやすい解説

伯家神道
はっけしんとう

平安後期以来、神祇伯(じんぎはく)を世襲した白川家(神祇伯に就任すると王号を許された)に伝えられた神道。本来は朝廷祭祀(さいし)に奉仕しながらその祭式・行事を伝えたものであって、特別の教義を有したものではないが、その伝承には、他にみられない貴重な内容が含まれており、一部は、近世中期の雅富(まさとみ)王の編した『伯家部類』にうかがうことができる。この雅富王のころより伯家の神道としての自覚が高まり、学頭森昌胤(まさたね)の『神道通国弁義』も出たが、1816年(文化13)には国学者平田篤胤(あつたね)に依頼して『神祇伯家学則』を作成した。その後幕末にかけて、有力な学者を学頭・学師に迎え、庶民の間にも普及する勢いを示した。

[谷 省吾]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伯家神道」の意味・わかりやすい解説

伯家神道
はっけしんとう

世襲の神祇官だった白川家の神道。白川神道ともいう。白川家は神祇官の長として,宮中内侍所や神祇官八神殿の奉仕,天皇らに御拝殿作法を伝授すること,諸国の神主,祝部の総支配などを司った。白川家は行事に中心をおいたので,特別の教義はない。関係文書に『神祇伯家学則』『伯家部類』がある。

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世界大百科事典(旧版)内の伯家神道の言及

【白川家】より

…神祇伯は宮中祭祀のみならず,全国の神社を統轄するが,古くから神事をつかさどる氏族で伯家に次ぐ神祇大副(神祇官の次官)を世襲した卜部氏吉田家の兼俱(1435‐1511)が唯一神道を創始し,神祇官領長上を自称して,地方神社をその支配下におくようになったため,白川家は振るわなくなった。そこで江戸時代に入って,吉田家に対抗して自家の独自の神道説を地方神社に広め伯家神道(はつけしんとう)と称するに至った。しかししょせんそれは吉田神道に及ばなかった。…

※「伯家神道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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