翻訳|allegory
語源はギリシア語のallēgoria(allos〈他〉+agoreuein〈話すこと〉)。すなわち,ある事物を,直接的に表現するのではなく,他の事物によって暗示的に表現する方法の意であるが,この表現方法によって創作された文学作品あるいは造形芸術作品を一般にアレゴリーと称する。寓意,寓喩,風喩ともいう。
アレゴリーの発想ないし方法の起源はきわめて古く,ギリシア・ローマ神話も聖書も,その多くの部分をアレゴリーとして解釈することが可能である。アレゴリーのもっとも単純明快な一例は,イソップの〈寓話〉であろう。彼の〈寓話〉は,単に表面上に現れた意味のレベルで理解すべき動物物語ではなく,そこに含まれた教訓こそがたいせつなのであり,イソップは,動物物語の形式をとりながら,人間存在の諸相を寓喩的に描いたのであった。17世紀のフランス詩人ラ・フォンテーヌの《寓話集》も同様である。〈寓話〉とともに〈たとえ話parable〉もアレゴリーの一種で,同じく比喩的・寓喩的に人生の教訓を語ることを目的とするものであった。イエス・キリストが好んで説いたこの種の〈たとえ話〉は聖書に多くみられる。アレゴリーは中世ヨーロッパにおいて盛んとなり,愛,憎悪,嫉妬,傲慢,慈悲等々の善悪さまざまな抽象概念が擬人化され,文学作品に登場する。近代小説の立場からすれば,一見,単純素朴とも思われるこの方法によって,中世の詩人,哲学者らは,人間の精神,心理,情念の世界を描き,人間の倫理的・宗教的課題を追求しようとした。《薔薇物語》(13世紀,フランス),ダンテの《神曲》(14世紀,イタリア),ラングランドの《農夫ピアーズの夢》(14世紀,イギリス),〈中世道徳劇〉,さらに近代にいたって,バニヤンの《天路歴程》(1678,84)など,寓喩的方法への依拠の仕方には,それぞれ深浅の差があり,またその主題も異なるが,いずれもアレゴリーの代表傑作と言いうる。アレゴリーはまた,近代において,社会的・政治的風刺の方法としても用いられた。ドライデンの《アブサロムとアキトフェル》(1681),スウィフトの《桶物語》(1704),S.バトラーの《エレホン》(1872),G.オーウェルの《動物農場》(1945)などはその優れた例である。以上のように,アレゴリーの概念ないし用法は広範多岐にわたり,文学上の一つのジャンルとしてではなく,比喩的,暗示的,象徴的,風刺的な,文学作品の構成法ないし表現法として把握すべきものである。
→寓話
執筆者:安東 伸介
造形芸術におけるアレゴリーとは,徳目,罪源,運命,愛,時間,名声のような抽象概念を,単独ないし複数の像によって視覚化した図像表現をいう。このような視覚化は基本的には擬人化(ときには擬動物化)によって行われる。その場合,ラテン語の抽象名詞の多くが女性名詞であるため,慣習的に女性の姿で表されることが多い。擬人像はしばしば,概念をより具体的に説明するために,〈属性attribute〉(ないし〈持物〉)と呼ばれる道具を補助手段としてもっている(たとえば,〈運命〉の車輪(図1),〈正義〉の天秤,〈傲慢〉の孔雀など)。属性は慣習的に定められたものもあるが,〈節制〉の場合のように,水とブドウ酒の瓶(激しやすい行動を抑制する)という伝統的な属性に代えて,時計のような時代の推移とともに,新しく発明された道具が使われることも注目に値する。
アレゴリーでは概念と表現された表徴との間に直接の関連性はなく,表徴はあくまでも意味されるべき内容の,暗喩的allusiveないし代替的substitutiveな表現である。例えば,手に鏡を持つ女性という表徴は化粧行為を表しているのではなく,自己自身を認識していること,つまり〈賢明〉という概念を表したり,逆に〈虚栄〉〈好色〉,あるいは五感の〈視覚〉であったりする。それに対し,象徴は象徴される事象との間に直接の,同一化的ないし等価値的な関連性がある。例えば,キリスト教の聖餐でのパンがキリストの体,ブドウ酒がキリストの血を象徴するがごとくである。象徴は個人的な体験によって選択されるのではなく,多くは文化遺産の一部を形成している。ただし,アレゴリーも象徴も特定なもののなかに普遍的なものを表現するという共通性を有している。さらに,〈信仰〉の擬人像がキリスト教の象徴としての〈十字架〉を手にし,純潔の象徴としての〈白〉の衣服を着るように,造形芸術ではアレゴリーと象徴は不可分の関係にあるため,両概念に境界線を引くことはあまり重要ではない,という見方も強い。
→象徴
芸術家がアレゴリー表現を行う場合,主として典拠とするのは,ギリシア・ローマ神話,聖書,過去および同時代のキリスト教神学に関する著述,寓意文学や道徳哲学などである。しかし逆に著述家たちが造形美術からインスピレーションをうけることもあり,ロゴス(言語)とイコン(画像)の依存関係は,アレゴリーの歴史のなかできわめて重要である。文学との関連でもっとも著名な例は,13世紀に書かれた愛の寓意詩《薔薇物語》で,今日知られている15世紀後半の豪華な彩飾写本(ボドリー図書館)を見ると,画家は閑暇,雅(みやび),優しさ,羞恥,恐れなどの擬人像を描くとき,テキストから啓発されていることがわかる。逆に文学への影響については後に述べる〈エンブレマータ〉が大きな役割を果たした。
(1)中世 中世においてはキリスト教道徳に関するアレゴリーが主体となる。プルデンティウスの《霊魂をめぐる戦いPsychomachia》(398-400)は,西欧世界におけるもっとも重要なアレゴリー化された叙事詩のひとつである。その内容が,人間の魂の内部で行われる徳目と罪源の葛藤,キリスト教信仰の異教に対する勝利を擬人化したものであったため,〈霊魂をめぐる戦い〉というテーマは中世初期のもっとも愛好されたアレゴリーのひとつとなった。武装し,戦い合う2人の擬人像は12世紀初めの写本(図2)やロマネスク教会堂正面のに多く見られる。ゴシック大聖堂正面の薄肉浮彫やステンド・グラスでは,徳目と罪源の内容がより具体化され,たとえばアミアン大聖堂では,〈愛徳〉は貧者にマントを与える婦人,〈貪欲〉は箱にお金を満たす婦人という風に,なんらかの属性をもつ擬人像が上下に対をなして描写されている。中世後期には,七徳目(信徳,愛徳,望徳の三神学徳と,賢明,正義,剛毅,節制の四枢要徳)と七罪源(傲慢,貪欲,邪淫,嫉妬,大食,激怒,怠惰)の対比の伝統が確立する(図3)。さらに聖書の正しい理解にとって不可欠な学芸としての自由七科も中世の主要アレゴリーのひとつとなった。各学芸の擬人像はそれぞれにふさわしい属性をもち,時にはその学芸を代表する学者や詩人を従えることもある。たとえば,フィレンツェのサンタ・マリア・ノベラ教会のアンドレア・ダ・フィレンツェのフレスコ(1365ころ)では,コンパスとT定規を持つ〈幾何学〉の擬人像の下に,ユークリッドが座している。月暦のアレゴリー(月暦画),すなわち貴人や農民の月々の営為の表現も,大聖堂正面の薄肉浮彫(パリ,アミアンなど),ばら窓,聖職者のための聖務日課書(図4)や平信徒用の時禱書に見られる。とくに農民の月々の野良仕事が教会の正面に表現される理由について定説はないが,聖書の教えが魂を重圧する無知から人間を救済するように,労働は原罪以来,人間の体に課せられた必然性から解放する,という説や,農民たちはそこに自分たちの姿を見いだし,神に庇護されている喜びを共感する,という説がある。月暦の図像的伝統はほぼゴシック時代に確立される。さらにこの月暦のアレゴリーはランブール兄弟の《ベリー公のいとも豪華な時禱書》(1413-16)をはじめ,15世紀後半から16世紀にかけて大量にブリュージュで彩飾された時禱書の写本において最盛期を迎える。さらに15世紀末から16世紀中期のヨーロッパでは,このアレゴリーはひとつの流行を生み,油彩,版画,タピスリーなどのジャンルでも多く制作された。他方,14世紀前半にヨーロッパを襲った黒死病(ペスト)の嵐は,〈死を記憶せよ(メメント・モリ)〉の教訓をもつ死のアレゴリーを普遍化し,墓地の礼拝堂のフレスコ(例。ピサのカンポサント。3人の着飾った男女が森の中を散歩し,死体の3段階の腐乱状態を示す三つの棺に遭遇する情景)や写本,教会堂内に安置された墓碑の彫刻に盛んに表される。こうした生者と死者の不意の出会い,あるいは生者に対する〈死の勝利〉といった図像は,15世紀後半には木版画入り印刷本《死の舞踏》(図5)へと展開する。
中世のアレゴリーにおいて,キリスト教と並ぶもうひとつの重要な要素は,パノフスキーが〈再生renascences〉,セズネックが〈異教の神々の生残りsurvival of pagan gods〉と表現した,古典古代の伝統である。異教の神々はキリスト教神学のなかで忘却され,死滅したのではなかった。ストア派の哲学者の試みを端緒に,中世の神学者たちは寓意的解釈によって,オリュンポスの神々の冒険の背後にある隠された教訓を引き出そうとした。こうして,ギリシア・ローマ神話も〈道徳哲学〉(トゥールの司教ラバルダンのイルドベール)のひとつとみなす倫理観が生まれた。14~15世紀にはオウィディウスの《転身物語》もキリスト教の倫理体系の枠のなかで釈義され,《教訓版オウィディウスOvide moralisé》がもてはやされる。例えば,太陽の息子ファエトンの墜落の神話は反逆天使ルシフェルのアレゴリーと解釈するたぐいである。
(2)ルネサンス,マニエリスム 盛期ルネサンスからマニエリスムにかけて,アレゴリー表現は開花期を迎える。とくにフィレンツェのフィチーノやピコ・デラ・ミランドラらの新プラトン主義者たちの果たした役割は大きく,〈聖書と神話との間に,かつて夢想もしなかった和解の可能性〉(セズネック)が提示された。ティツィアーノの《聖愛と俗愛》(1515ころ)には永遠の幸福と一時的な幸福(チェーザレ・リーパ),キリスト教的な高次の精神と低次の精神,新プラトン主義的な存在の2種のあり方(パノフスキー)など,種々のアレゴリーが指摘される。レオナルド・ダ・ビンチの《白貂を抱く婦人の肖像》のように,誇り高い白貂の性質によってモデルの〈純潔〉をたたえるなど,肖像画の中にモデルの理想とする徳性を寓意化することも少なくなかった。ミケランジェロによるメディチ家の2君主の墓廟の構想には,下部から上部にかけて冥界,地上世界が,また〈旧の四つの時〉〈四季〉〈人生の四段階〉などの時のアレゴリーがあるといわれる。
マニエリスム(1530-90ころ)は,表現形式の完成よりは内的イデアの世界を重視した時期で,まさしく〈アレゴリーの勝利〉と呼称してよいだろう。アレゴリーはタブローや彫刻だけでなく,祭壇や宮殿の壁面,天井画,その他あらゆるジャンル--王冠,王笏,棺,紋章,宝石箱などの工芸品,棚や長持などの家具,貴人の衣装の刺繡,新教皇就任の祝賀花火,王侯の凱旋入城,仮装行列(メディチ家のフランチェスコとオーストリアのヨハンナの1565年の結婚式などの),市民たちの企画するページェント--に〈侵入〉していった。イタリアでの代表的美術作品はブロンツィーノの《愛の寓意》(図6)(1545-50ころ)で,時と真理が〈愛欲〉の正体を暴露するという錯綜したアレゴリーが展開する。またバザーリがパラッツォ・ベッキオの広間やフランチェスコ1世の書斎(ストゥディオーロ)に描いたフレスコや板絵は,四大(地,水,火,風),錬金術,宇宙生成など秘教的なアレゴリーが充満している。マニエリストたちは総じて,〈宇宙〉〈愛〉〈時〉〈死〉といった人間存在の根本問題のアレゴリー化にもっとも関心を抱いた。
アルプス以北では,〈放蕩息子〉(ルーカス・ファン・レイデン)や〈盲人の寓話〉などの聖書の主題は,字義的,寓意的,教訓的,秘義的の四重に注解されることが少なくない。ブリューゲルが《盲人の寓話》(1568ころ)を描いたとき,偽預言者に惑わされ,正しい宗教に盲目な人間精神への警鐘というアレゴリーは明白である(同時代のカトリックの詩人アンナ・ベインスの《リフレイン詩集》にもうたわれる)。またクラーナハが量産した《不似合いなカップル》は老人の〈情欲〉と財産目当ての若い娘の〈貪欲〉や〈裏切り〉を風刺し,《パリスの審判》は若者たちに活動的・瞑想的・快楽的人生の選択を説くなど,宗教改革期のドイツらしいアレゴリーが流布した。
(3)エンブレマータの流行 ルネサンス以降のアレゴリー志向をとくに推進させたものに,〈エンブレマータEmblemata〉(寓意,標章図像集)の出版がある。その契機は1419年,アンドロス島で発見された4世紀のアレクサンドリアの文法学者ホラポロンHorapollōnのギリシア語の写本《象形文字》である。この書のなかで,著者はエジプトの〈極秘の修法〉と呼ばれる象形文字の判じ絵的要素に注目し,文字の役割を果たす動物のアレゴリー(例えば,鹿は〈長寿〉,コウノトリは〈父母への愛〉)などを詳しく解明した。この写本が1505年マヌティウスによって初めて活字化されて以来,それに啓発されたイタリアの人文主義者たちはホラポロンの当世版を志す。アルチャートが《寓意図像集Emblematum Liber》(1531初版)をアウクスブルクで出版し大反響を呼び,1600年までフランス語訳を含む90版,それ以後の版も含むと150版が世に出た。同書は,まず標語(モットー)があり,つぎに木版の挿画,その下に数行の韻文が添えられる絵入り注釈書で,後の同種の出版物の範例となる(図7)。P.ウァレリアーノの《象形文字体系》(1556)も当時の重要なアレゴリーの提要書であった。B.ピットーニの《標章図像集》(1568)は,ローマ教皇やイタリアの名門の標章を収集する。また,L.G.ジラルディの《異教の神々の歴史》(1548),N.コンティの《神話》(1551),V.カルターリの《古代神像》(1556)などは,それぞれ十数版を重ねた神話学の書であるが,文学や芸術のアレゴリーの普及に大いに貢献し,人文主義者の書斎や芸術家の工房に必須の提要書として常備された。16世紀に続出したエンブレマータの出版後,アレゴリーの歴史でもっとも重要な文献,リーパCesare Ripa(1560ころ-1620ころ)の《イコノロジア》(1593初版)がローマで上梓された。1603年の第3版ではアレゴリーは大幅に増補されて400の図像項目を超え,木版画が初めて挿入された(図8)。その後この書は18世紀までヨーロッパの各国語に翻訳や抄訳,ときには意訳される。したがって,挿画もその国々の芸術家がその時代の様式によって制作している。同書はAbondanza(豊穣)からZelo(熱意)までアルファベット順にあらゆる抽象概念を擬人化して,それに適したかぶり物,衣装とその色,道具,ときには付随の動物などを図示し,かなり詳しい説明文を付す。リーパの影響は北ヨーロッパの絵画にも見られ,例えば17世紀オランダの画家フェルメールの《信仰のアレゴリー》で,擬人像が白い衣裳の婦人,盃,十字架,本(聖書)を属性として備えるという描写は,リーパに拠っている。フランドル絵画では,ルーベンスの師であり人文主義者のオットー・バン・ベーンの《愛の寓意図像集》が,同時代の画家の画中画に使用されるなど,かなりポピュラーであった。またJ.カッツやルーマー・フィッシャーはその書のなかで子どもの遊戯を寓意化し,例えば,シャボン玉をこの世のむなしさ,独楽(こま)回しを鞭打たれないと働かない人間への教訓とするなど,オランダの寓意図像集は道徳的教えを説くものが多い。フランスではJ.ルメール・ド・ベルジュの《ガリア物語とトロイア綺談》(1510),P.deロンサールの《神々の書》(1578)が神話の流布を促進した。イギリスではイタリアの提要書に大いに啓示をうけ,エリザベス朝時代の〈宮廷仮面劇〉などは〈アレゴリーの競演〉といえよう。ベン・ジョンソンの台本,イニゴ・ジョーンズの舞台装置,衣装デザインによる共同作品として《黒のマスク》《女王のマスク》など8作品が知られるが,なかにはリーパの《イコノロジア》を典拠とする寓意人物をメモのなかに明記している作品もある。当時のイギリスの代表的な寓意図像集として,G.ホイットニーの《エンブレムの選択》(1586)やH.ピーチャムの《ミネルバ・ブリタンナ》(1612),F.クワールズの《寓意図像集》(1635),G.ウィザーの《古今寓意選集》(1634-35)がある。ドイツではヨーロッパの寓意図像集の3分の1がこの国で出版されたといわれるほど盛んで,J.ザムブクスの《寓意図像集》(1564),J.カメラリウスの《植物百種の象徴と寓意図像集》(1590),G.ローレンハーゲンの《精選寓意図像集》(1613)が著名である。スペインではフアン・デ・ボリア,フアン・ペレス・デ・モヤなどがエンブレマータの代表的な著者である。なかでもペレス・デ・モヤは神話について,その歴史的,物質的,道徳的側面という三重構造を説明するなど,かなり中世的な色彩が濃い。このようにエンブレマータの出版は16世紀からバロック期にかけて約3世紀の間隆盛をみ,今日知られるだけでも600人の寓意図像作家(無名作家は含まず)が活躍していた。
(4)バロックとそれ以降 ルーベンスの《マリー・ド・メディシスの生涯》,ルイ14世のベルサイユ宮殿の〈平和の間〉や〈戦争の間〉のように,個人の生涯を栄光化,神格化するなど,バロック期にアレゴリーはより雄大なスケールへと発展する。とくに反宗教改革後,ローマやオーストリア,南ドイツの教会堂は,地上におけるカトリックの勝利と永遠性,守護聖人の伝道行為を寓意的に賛美するため,主祭壇画とその周囲の彫刻群,内陣や身廊の天井画など,一貫したプログラムによって図像学的統一をはかった(ローマのサン・ピエトロ大聖堂,南ドイツ,ワインガルテンやオーストリア,メルクのベネディクト会修道院教会)。また個々のタブローにしてもヤン・ブリューゲルの〈五感〉や〈四季〉のアレゴリー,ヨルダーンスの〈豊穣〉,ブーエの〈時に対する希望,愛,美の勝利〉といった地上的価値を賛美し,幸福な生活感情に支えられた寓意画が栄える。他面,プロテスタント国オランダでは,P.クラースの《頭蓋骨のある静物》(1630)に見られるように,卓上の時計,煙るランプ,頭蓋骨などによる〈死を記憶せよ〉の教訓,J.M.モレナールの《婦人の世界》の,召使に頭をとかさせる行為,頭蓋骨,シャボン玉などによる〈虚栄(ウァニタスvanitas)〉の戒めなど,中世にシリーズで描かれた罪源のテーマがいまや教訓画のための独立した主題となる。このほか,スペインのベラスケスの《織女たち》のように,壁にかけられた画中画的存在のタピスリーによって,技術に対する絵画芸術の勝利という主題の寓意性を暗喩する手法も愛好された。18世紀以後,アレゴリー志向は一般に沈滞するが,フランスでは革命期,帝政期に特有の寓意(ダビッドなど)が生まれる。19世紀末の象徴主義芸術では伝統的アレゴリー表現が変形されつつ,芸術家自身の創作した神話のなかで生きながらえる(クノップなど)。20世紀になると中世以来のアレゴリーは崩壊するが,創作寓意と象徴主義の混入した形而上的イメージの世界(シュルレアリスム)がつくられる。
執筆者:森 洋子
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寓喩(ぐうゆ)、寓意物語。ギリシア語のアレーゴリアallegoria(別な話し方)に由来し、抽象的な概念をそのまま表現せずに、別の具体的なイメージを用いて表現する文学形式。メタフォーmetaphor(隠喩)を拡大、発展させたものともいえる。パラブルparable(たとえ話)やフェイブルfable(寓話)よりも複雑で長く、構想力に富み、しばしば擬人化がみられる。聖書やダンテの『神曲』はいくつかの異なったアレゴリー、つまり重層的な寓喩として解釈される。代表的作品としては、中世の道徳劇や『バラ物語』、近世のE・スペンサーの『妖精(ようせい)女王』やバニヤンの『天路歴程』、20世紀ではG・オーウェルの『動物農場』がある。
[船戸英夫]
…たとえば〈人はパンのみによって生きるのではない〉というような表現において,〈パン〉という種は食物という類全体をあらわす提喩である。(5)諷喩allegory(アレゴリー) 同系列の隠喩を連続させて,たとえ話のような形式に構成する比喩表現。たとえば,人生を〈旅〉に見立てる隠喩を展開させれば〈日が暮れかけてまだ旅の道は遠い〉というような,人生を語る諷喩が成立する。…
…この考え方だと短編小説,観念小説,怪奇小説,ファンタジーやSF,ヌーボー・ロマンやポストモダニズムなどと呼ばれる最近の前衛的小説などが入らなくなるが,これらの小説も標準的小説の多くの特徴を取りいれており,また伝統的小説に反逆して書かれた前衛的小説にしても,この標準的小説概念を前提として含んでいるといえる。 この標準的な小説に対立するものとして,一方にロマンス,他方にアレゴリーないし寓意物語がある。ロマンスはもともと中世フランスの騎士道物語の名で,現代ヨーロッパ諸語で小説を〈ロマンroman〉と呼ぶもととなっているが,ここでのロマンスはそうした特定の歴史的形態を離れて,広く冒険,不思議,理想化された人物など,空想を自由にはばたかせた物語をいう。…
…たとえば〈人はパンのみによって生きるのではない〉というような表現において,〈パン〉という種は食物という類全体をあらわす提喩である。(5)諷喩allegory(アレゴリー) 同系列の隠喩を連続させて,たとえ話のような形式に構成する比喩表現。たとえば,人生を〈旅〉に見立てる隠喩を展開させれば〈日が暮れかけてまだ旅の道は遠い〉というような,人生を語る諷喩が成立する。…
※「アレゴリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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