明治初期の僧、国粋論者。文化(ぶんか)15年4月8日肥後国八代(やつしろ)郡種山村(熊本県八代市東陽町南)の真宗本願寺派の寺院の子として生まれ、のち同国飽田(あきた)郡小島(おしま)(現、熊本市)の正泉寺住職佐田氏の養子となった。16歳のとき京都に出て本願寺で仏教の学を修め、さらに東福寺、南禅寺などで修行した。ランプ亡国論、簿記印記(インキ)無用論などにより、極端な舶来品排斥論者、同運動者として著名。ために悪しき意味の保守反動論者とみなされがちである。確かに、幕末には国事に奔走、維新後も仏教的天文学須弥山(しゅみせん)説により天動説をも唱えたが、主著『栽培経済論』(1878~1879)によれば、外国の事情にもかなり通じ、外国貿易をまったく不必要とはみていない。また医学を修めた彼は、経済循環を人体の血液循環になぞらえて把握、貨幣の流れと財の流れの対応の重要性や消費の経済循環に果たす役割などを強調するなど、当時の経済論のなかで特色ある議論を展開している。固陋(ころう)にすぎた主張があるけれども、自国軽視の風潮のなかで、日本固有の文化を認識し、国産品の愛用、国内産業保護の運動に挺身(ていしん)した彼を、単なる頑迷な保守反動論者として葬り去ることは妥当ではないであろう。主著にはほかに『点取交通論』(1877)、『栽培経済問新誌』(1881)など。明治15年12月9日新潟県高田を巡教中客死した。
[多田 顯 2016年9月16日]
『『本庄栄治郎著作集2 日本経済思想史』(1971・清文堂出版)』
(沼田哲)
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僧侶,欧化政策の反対者。肥後の人。真宗の寺に生まれ,京都で仏教を学んだ。洋学の興隆に反発し,仏教の教理から独自の地動説を考え,須弥山を中心とする天体の運行を主張した。維新後は文明開化に反対し,国産品の愛用,舶来品排斥を主張し,建白書を提出したり,各地を遊説したりした。とくに1880年に書いた《ランプ亡国論》は有名である。
執筆者:田村 貞雄
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