日本大百科全書(ニッポニカ) 「何香凝」の意味・わかりやすい解説
何香凝
かこうぎょう / ホーシヤンニン
(1878―1972)
中国の政治家。孫文(そんぶん/スンウェン)の四天王の一人といわれた廖仲愷(りょうちゅうがい/リヤオチョンカイ)の夫人で、廖承志(りょうしょうし/リヤオチョンチー)の母。広東(カントン)に生まれ香港(ホンコン)で育ち、結婚後1902年(明治35)に来日、東京女子美術学校に入学、1905年中国同盟会に最初の女性として加入。1911年卒業後、広東に戻り1913年(大正2)再来日、1923年まで東京に在住。1923年帰国、1924年の国民党一全大会に参加、同党の婦女部の指導者。国共合作を進める廖仲愷は1925年国民党右派に暗殺され、のち孫文・廖仲愷の遺志を継いで政治家となり、蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)国民政府にとどまり閑職につく。日中戦争中は西北地区で救災活動に従事。内戦期の1948年国民党革命委員会を李済深(りさいしん/リーチーシェン)らと結成、新中国成立に伴い華僑(かきょう)事務委員会主任、政治協商会議代表を務め、一貫した統一戦線の政治家であった。また中国画の画家として著名。
[加藤祐三]