廖承志(読み)リョウショウシ

デジタル大辞泉 「廖承志」の意味・読み・例文・類語

りょう‐しょうし〔レウ‐〕【廖承志】

[1908~1983]中国政治家東京生まれ。父は国民党左派の指導者、廖仲愷ちゅうがい長征、抗日戦に参加。人民共和国成立後は日中国交回復尽力。中日友好協会発足以来、その会長を務めた。リアオ=チョンチー

リアオ‐チョンチー【廖承志】

りょうしょうし(廖承志)

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精選版 日本国語大辞典 「廖承志」の意味・読み・例文・類語

りょう‐しょうしレウ‥【廖承志】

  1. 中国の政治家。東京生まれ。日本留学の後、ドイツなどで中国海軍部隊の赤化工作に従事。国外追放処分となり、ソ連を経て帰国。長征に参加。一九四五年以降、中国共産党中央委員、人民共和国成立以後、対華僑・対日関係の要職歴任。(一九〇八‐八三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「廖承志」の意味・わかりやすい解説

廖承志
りょうしょうし / リヤオチョンチー
(1908―1983)

中国の政治家。廖仲愷(りょうちゅうがい)と何香凝(かこうぎょう)(女性運動指導者)の息子として東京に生まれる。1925年中国共産党入党。嶺南大学卒業、早稲田(わせだ)大学を1928年(昭和3)中退、ヨーロッパ留学から1932年帰国して逮捕される。釈放後、江西ソビエトに入り、1934年長征に参加、1935年延安で出版局長を務めた。日中戦争中は香港(ホンコン)を中心に活躍。1942~1946年香港で国民党により投獄されていたが、人民共和国成立後は共産党幹部(1956年中央委員など)となり、とくに華僑(かきょう)問題、統一戦線活動を指導。1962年高碕達之助(たかさきたつのすけ)との間に「LT貿易覚書」を締結。1964年以降、中日友好協会会長であった。

[加藤祐三]

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20世紀日本人名事典 「廖承志」の解説

廖 承志
リョウ ショウシ
Liao Cheng-zhi

07の政治家 中国全国人民代表大会(全人代)常務委副委員長;中国共産党政治局員;中日友好協会会。



国籍
中国

生年
1908年8月8日

没年
1983年6月10日

出生地
東京

学歴〔年〕
嶺南大学,早稲田大学

経歴
孫文の片腕であった廖仲愷を父に持ち、亡命先であった日本で生まれる。1919年帰国したが、廖仲愷が暗殺され、’25〜28年早稲田大学に学ぶ。帰国後、’28年中国共産党入党、ドイツ、オランダなどで中国海軍部隊の赤化工作に携わる。’32年に帰国したが、逮捕。釈放後、’34年長征に参加して延安に至り、’35年延安で出版局長を務めた。日中戦争中は香港を中心に活躍、’42〜46年香港で国民党により投獄されていたが、中華人民共和国成立後は’56年共産党中央委員となり特に華僑問題、統一戦線活動を指導し、’62年高碕達之助との間に「LT貿易覚書」を締結、’64年以降中日友好協会会長を務めた。文化大革命では激しい攻撃を受け、’69年の九全大会で党中央委員を解任されたが、外交部顧問として日中国交正常化交渉などにあたり、’73年4月国交正常化後、初の大訪日代表団を率いて来日、’73年十全大会で党中央委員に復活した。

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百科事典マイペディア 「廖承志」の意味・わかりやすい解説

廖承志【りょうしょうし】

中国の政治家。広東省の人。廖仲【がい】(ちゅうがい)の子。日本生れ。1928年早大在学中済南(さいなん)事件関係の排日デモを行い,国外追放。ヨーロッパ遊学ののち,1932年上海で中国国民党に逮捕されたが釈放,日中戦争初期に香港で活動,1942年―1946年国民党に再逮捕される。解放後1949年華僑事務委員,全国民主青年連合会総主席。1953年日本人帰国問題の中国首席代表。1963年以降,中日友好協会会長。1982年,中央政治局委員。
→関連項目何香凝日中覚書貿易

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「廖承志」の意味・わかりやすい解説

廖承志
りょうしょうし
Liao Cheng-zhi

[生]光緒34(1908).8. 東京
[没]1983.6.10. 北京
中国の政治家。父は廖仲 愷,母は何香凝。両親の日本留学中に生れ,暁星小学校に学び,1919年帰国。国民党に入党。 27年再び来日,早稲田大学に入学し 28年中退。中国共産党に入党し,ヨーロッパで活動,32年ソ連を経て帰国。国民党に逮捕されたが母の尽力で釈放され,のち長征に参加。 45年共産党中央委員,49年から青年工作,華僑工作などの責任者となり,58年アジア=アフリカ団結委員会主席。 63年中日友好協会会長となり対外関係,特に対日工作にあたっていた。中国側の代表の一人として日中国交正常化交渉などに参加。 64年には高碕達之助LT貿易覚書を取決めた。 72年から外交部顧問でもあり,日中国交回復後の 73年4月中日友好協会訪日代表団団長として来日。 78年第5期全国人民代表大会常務委員会副委員長。 56年の八全大会,73年の十全大会,77年の十一全会と 82年の十二全大会で中央委員,82年9月 12期一中全会で政治局委員。 83年国家副主席の候補者とされたのち急死。中国きっての知日家。

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改訂新版 世界大百科事典 「廖承志」の意味・わかりやすい解説

廖承志 (りょうしょうし)
Liào Chéng zhì
生没年:1908-83

中国の政治家。中国国民党創設の元老の廖仲愷と何香凝(1878-1972)を両親に東京で生まれ,育った。1925年,中国共産党に入党。紅軍の長征に参加したのち,周恩来の指導下に香港で抗日民族統一戦線工作に従事した。新中国成立後は,対日関係および華僑工作の責任者として活躍。62年には,高碕達之助との間に〈LT貿易覚書〉を締結し,日中の結びつきに貢献した。中日友好協会会長として日本人との知友関係が深い。82年,中共中央政治局委員に選ばれ,国家副主席就任を目前にして,急逝した。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「廖承志」の解説

廖承志 りょう-しょうし

1908-1983 中国の政治家。
明治41年9月25日父廖仲愷(ちゅうがい)の亡命先の東京で生まれる。母は何香凝(か-こうぎょう)。大正8年一時帰国ののち再来日,昭和3年早大第一高等学院在学中に逮捕され送還される。同年中国共産党にはいり,のち長征にくわわる。1949年中華人民共和国の共産党中央委員となり,華僑対策などを担当。1962年高碕達之助とLT貿易を実現。中日友好協会会長。1983年6月10日死去。76歳。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「廖承志」の解説

廖承志
りょうしょうし
Liao Chengzhi

1908~83.6.10

中国の政治家。国民党元老廖仲愷(ちゅうがい)の子。別名は何柳華。両親が日本へ亡命中に東京で生まれ,1919年帰国。父の暗殺後に再度来日,早稲田大学第一高等学院に入るがのち退校。長征に参加後,35年中国共産党出版局長となり,49年以降,統一戦線部副部長などの要職に就き,高碕達之助とLT貿易を実現。中日友好協会会長・第5期全人代副委員長も務めた。

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367日誕生日大事典 「廖承志」の解説

廖 承志 (りょう しょうし)

生年月日:1906年9月25日
中国の政治家
1983年没

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世界大百科事典(旧版)内の廖承志の言及

【日中貿易】より

…この第2の原則に基づき,友好貿易という形でいわゆる〈友好商社〉が日本側の窓口になり,日中貿易をその後担っていくことになる。62年11月,高碕達之助廖承志(りようしようし)との間で,長期,総合,バーター(バーター貿易),延払い(延払輸出)を基本とする〈日中総合貿易に関する覚書〉が取り交わされ,廖,高碕の頭文字をとったLT貿易が始まった。これは先の第1の貿易原則である政府間協定ではないが,それに準ずる(準政府ベース)取決めであった。…

【廖仲愷】より

…1924年以降も中国国民党の農民部長,工人部長,黄埔軍官学校代表,広東省長を歴任,孫文死後は国民党左派の指導者として新三民主義政策を堅持したが,右派のため暗殺された。夫人の何香凝(かこうぎよう)女史も同盟会,国民党で活躍した婦人革命家であり,中国日本友好協会会長,中国共産党政治局委員をつとめた廖承志はその子である。【久保田 文次】。…

※「廖承志」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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