光前寺(読み)こうぜんじ

精選版 日本国語大辞典 「光前寺」の意味・読み・例文・類語

こうぜん‐じクヮウゼン‥【光前寺】

  1. 長野県駒ケ根市赤穂にある天台宗の寺。山号は宝積山。貞観二年(八六〇慈覚大師の弟子本聖が創建弁天堂は国重要文化財。

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日本歴史地名大系 「光前寺」の解説

光前寺
こうぜんじ

[現在地名]駒ヶ根市赤穂 光前寺

村の西山手、駒ヶ岳の東山麓にある。おそらく、この駒ヶ岳に基づいての高山こうせん寺が原初の姿であろう。天台宗宝積山と号し、比叡山延暦寺派。末寺一六ヵ寺。本尊は不動明王。叡山の信濃における末寺五ヵ寺の一寺と称せられる。

寺伝によると、貞観二年(八六〇)慈覚大師の弟子本聖上人が笈を負い、錫を伊那郡上穂うわぶの里のねずみ川の沢にとどめ、草庵を結び法を修めた。一夜霊夢に感じ、大田切おおたぎり川の上流の一大瀑布の淵底に不動尊の小像一体を得、今の地に寺を造り安置したという。今も上人の草庵を結んだ沢を籠沢こもりさわ、不動尊を得た滝を不動ふどう滝という。何回か火災に遭い、古い記録を失っているが、文献上の初見は天正八年(一五八〇)武田勝頼朱印状(光前寺文書)で、武田勝頼は旧規のごとく本寺に徳役を免じている。

<資料は省略されています>

また同文書の京極高知寄進状案によると、慶長三年(一五九八)領主京極高知は寺領として新規に六八石を寄進し、当時寺領は合わせて百石余に及んでいた。このように戦国武将の庇護を受け、慶安元年(一六四八)の光前寺寺領朱印状には、「赤須村内三拾石・寺中開発之地三拾石合六拾石」の朱印地が寄進されたことが記されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「光前寺」の意味・わかりやすい解説

光前寺
こうぜんじ

長野県駒ヶ根(こまがね)市赤穂(あかほ)にある天台宗の寺。山号は宝積山(ほうしゃくざん)。860年(貞観2)慈覚大師円仁(えんにん)の弟子本聖が山麓(さんろく)の滝から不動明王(本尊)を感得し、開創したと伝える。天正(てんしょう)~慶長(けいちょう)年間(1573~1615)に武田・羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))家から寺領を寄進され、盛海(せいかい)を学頭とする学問寺として知られた。江戸時代、徳川家光(いえみつ)は朱印60石を寄せ、10万石の大名格として栄え、信濃(しなの)五大寺の一つとされた。多くの末寺があったが明治維新後廃された。現在は本堂、三重塔など10余棟を備える。遠州府中(えんしゅうふちゅう)(静岡県磐田(いわた)市)の怪物(老狒狒(ひひ))を退治し、人身御供(ひとみごくう)の難を救った霊犬早太郎(はやたろう)伝説や、雨乞(あまご)いに霊験(れいげん)あるという青獅子(あおじし)の伝説がある。1500年(明応9)造の弁天堂は国の重要文化財。境内には、極楽(ごくらく)浄土を模した庭園(国の名勝)、地蔵尊30余体を祀(まつ)る賽(さい)の河原などがあり、参道石垣の石の間にはヒカリゴケが自生している。宝物に来迎弥陀画(らいごうみだえ)など多くの仏画を蔵する。

[田村晃祐]


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事典・日本の観光資源 「光前寺」の解説

光前寺

(長野県駒ヶ根市)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

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デジタル大辞泉プラス 「光前寺」の解説

光前寺

長野県駒ヶ根市にある天台宗の寺院。860年開基。山号は宝積山。庭園は国指定名勝、弁天堂は国指定重要文化財。

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