八王子城跡(読み)はちおうじじようあと

日本歴史地名大系 「八王子城跡」の解説

八王子城跡
はちおうじじようあと

[現在地名]八王子市元八王子町・下恩方町・西寺方町

戦国期の山城跡。小田原北条氏三代目の当主氏康の三男氏照が築城し、北条氏の本城小田原城最大の支城として、関東支配上重要な位置を占めていた。国指定史跡。当城は甲武国境の山塊がようやく関東平野に没しようとする標高約四六〇メートルほどの尾根の先端の深沢ふかざわ(城山)に築かれた。北は滝沢たきざわ川、南は城山しろやま川に挟まれた要害の地で甲武をつなぐ交通路の小仏こぼとけ峠を抑え、国境警備に絶好の位置といえる。氏照がここに築城したのは天正年間(一五七三―九二)とされ、天正六年と推定される二月一〇日の北条氏照制札(薬王院文書)では「八王寺御根小屋」維持のため、薬師山(高尾山)内の山の竹木伐採を禁止している。このようにすでに八王子に城郭施設が存在した。しかし同制札に違反者は「見合ニからめとり、滝山へ可為引」とあり、なお氏照の居城滝山たきやまであったと思われる。

天正九年とされる二月九日の北条氏照朱印状(並木文書)には「八王子番」とみえ、氏照の家臣交替で在番する城郭施設が存在することをうかがわせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「八王子城跡」の解説

はちおうじじょうあと【八王子城跡】


東京都八王子市元八王子町にある城跡。標高466mの深沢山(城山)にあり、北浅川・南浅川に囲まれた広大な範囲に、尾根や谷の複雑な地形を利用して築かれている。山頂部には本丸・松木曲輪(くるわ)・小宮曲輪などがあり、山腹には御主殿(ごしゅでん)と呼ばれる館を構えた居館区域、東麓の城山川沿いには城下町が展開していた。周辺にはいくつもの砦(とりで)を配し、それらを結ぶ要所には、堀切りや竪堀が設けられ、とくに居館区域には石垣で固められた太鼓曲輪があり、その両端は曳き橋と呼ばれる架橋によって容易に尾根を越えさせない仕掛けになっていた。後北条氏3代目氏康(うじやす)の3男氏照(うじてる)によって、天正年間(1573~92年)に築城が開始され、それまでの滝山城から移って本拠とした。1590年(天正18)の豊臣秀吉の小田原攻めに際し、前田利家・上杉景勝連合軍に敗れて落城、これが決め手となって籠城戦を続けていた本城の小田原城も開城し、後北条氏は滅亡した。戦国時代の山城の遺構をよく残した遺跡として、1951年(昭和26)に国の史跡に指定され、1979年(昭和54)、2005年(平成17)に追加指定があった。JR中央本線高尾駅から西東京バス「霊園前」下車、徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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