武家政治(読み)ブケセイジ

デジタル大辞泉 「武家政治」の意味・読み・例文・類語

ぶけ‐せいじ〔‐セイヂ〕【武家政治】

武家政権を掌握して行う政治。一般に、征夷大将軍幕府を開いて行った鎌倉室町江戸の3時代の政治をいう。

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精選版 日本国語大辞典 「武家政治」の意味・読み・例文・類語

ぶけ‐せいじ‥セイヂ【武家政治】

  1. 〘 名詞 〙 武士階級による政治的支配。また、その政治。公家政治に対する語。一般に、征夷大将軍が幕府を開いて行なった鎌倉・室町・江戸の各時代、計約六八〇年間の政治をいう。

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改訂新版 世界大百科事典 「武家政治」の意味・わかりやすい解説

武家政治 (ぶけせいじ)

日本史上にあらわれた政治形態の一つで,武士階級がその軍事力を基礎に,独自の権力と組織をもって政治的支配を行ったもの。全国的統治の場合も,また部分的統治のみの場合もあるが,一政権として支配体制を維持したときはこれを武家政権と解し,そこに展開された政治を武家政治という。一般に12世紀末の鎌倉幕府の創立から,1867年(慶応3)の江戸幕府終末までの約700年間を武家政治の時代とする。なお鎌倉幕府に先行する平氏政権は武家出身者たる平清盛による政権であり,これをも武家政治とする見解もあるが,権力の源泉や政治組織あるいは経済的基盤などにおいて貴族(公家)の政権と類似するとの理由で,これを武家政治の範疇に含めない立場が有力である。

武家政権の首長たちは,鎌倉幕府の創始者源頼朝の例にならって征夷大将軍に任ぜられ,一般に将軍と呼ばれた。またこの頼朝は,1190年(建久1)に右近衛大将に任ぜられたが,この近衛大将官職の唐名(中国名)で呼ぶと親衛大将軍,大将軍となる。また中国の古典的用法では,この大将軍が出征中に軍政をとる場所,すなわち将軍の幕営を幕府,柳営などと称した。そして幕府の語は大将軍(近衛大将)の居処の意味から転じて,大将軍そのものを指すに至り,頼朝の時代には一般に近衛大将を幕府,幕下と称した。近衛大将に任ぜられた頼朝の居館が幕府と呼ばれる必然性が生じたのである。ところが頼朝はさらに92年に征夷大将軍に任ぜられたところから,いつしか征夷大将軍の居処を幕府と呼ぶように誤り転用され,さらに征夷大将軍であり武家政治の主宰者である人の居処を幕府と観念するに至った。そしてこの用法を歴史学の概念構成の上にも利用して,将軍(征夷大将軍)を首長とする政権そのものを幕府と称するに至った。その政庁の所在地名を冠して鎌倉幕府,室町幕府,江戸幕府と呼ぶのは,そうした政権の意味である。なお織田信長,豊臣秀吉は将軍に任ぜられず,したがってその政権は幕府とは呼ばない。しかしこの織豊政権が本質上武家政治に含まれることはもちろんである。

武家政治が源頼朝の鎌倉開府によって創始されたことはいうまでもないが,一般に武家政治が日本における封建国家の成立,封建的秩序の発展の経過をになうものと考えるとき,鎌倉幕府の政治的実態は封建国家としていまだ未熟な段階にあったことは否定できない。東国武士を勢力基盤とした頼朝は,挙兵のはじめから彼らの要望にこたえるべく東国の軍事的政治的経営に主力を注いだ。そして頼朝の東国に対する特殊な支配権限はいわゆる寿永の宣旨により,国家公権の承認するところとなった。他方,その武力を背景に全国的軍事警察権(天下兵馬の権)を掌握した頼朝は,やがて朝廷から守護地頭補任権を与えられ,形式的には軍事政権としての公権的性格を獲得した。しかしここに創始された地頭制は全国の土地に画一的に定着したものではなかった。また一方で武家の棟梁としての頼朝が武士を主従関係のもとに組織した御家人制においても,必ずしも全国の武士を包含したものではなく,東国への偏向が強かった。鎌倉幕府は東国政権としての性格が強く,全国的政権とはみなしえない。また幕府を支える社会の封建的生産関係の未成熟とあいまって,その政治体制にも武家政治の初期的段階としての前封建的性格が見られた。

鎌倉幕府の滅亡により武家政治は一時中断したが,やがて足利尊氏による室町幕府が成立,当初の約半世紀の間は南朝の公家政権と対立したものの,しだいにこれを圧迫し,また北朝をも政治的に無力化した。3代義満のときに南北朝合一を実現するとともに全国統治権を完全に手中にし,全国の武士を包含する統一政権となった。鎌倉幕府の,将軍と御家人との主従制たる御家人制にかわり,室町幕府では守護の封建領主化により将軍-守護-地方武士という階層的主従制が成立した。しかしこれは守護を中心とする地方勢力の強大化をも意味し,鎌倉幕府の中央集権的様相と異なり,分権的傾向と将軍権力の弱化とが室町幕府の特徴となる。幕府が弱体化した15世紀後半,守護大名,戦国大名が各地に自立抗争するが,やがて織田・豊臣政権により全国統一がなり,その基本的政策を継承した江戸幕府は,幕藩体制と呼ばれる新しい封建国家体制を完成した。幕府は多くの直轄領を保持し,諸藩の大名を厳格に統制するとともに,士農工商という社会秩序を固定し,幕府・大名による公的統治権を確立した。江戸幕府による統治と統制はきわめて厳格で,幕藩体制には中央集権的性格が強まり,そのため江戸幕府を絶対主義国家の一形態としてとらえる立場もある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「武家政治」の意味・わかりやすい解説

武家政治
ぶけせいじ

日本史上の政治形態の一つ。武士がその軍事力を基礎に独自の権力と組織をもって行った政治で、12世紀末の鎌倉幕府の創立から1867年(慶応3)の江戸幕府の終末までの約700年間がこれにあたる。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武家政治」の意味・わかりやすい解説

武家政治
ぶけせいじ

日本歴史上,武士階級が独自の権力と組織をもって行なった政治的支配のこと。平安時代末期の平氏政権は武家の政権ではあったが,独自の武士階級としての権力と組織をもたず,まもなく瓦解したのでこれを省き,鎌倉幕府の成立をもってその開始期とし,鎌倉幕府,室町幕府,織豊政権,江戸幕府の4つの時期を経て明治維新にいたって終結とする。この 700年のうち,織豊期を除けば,征夷大将軍が幕府を組織した。武家政権は公家政権と対抗して武家法を樹立し,武家の棟梁のもとに主従制を展開し,全国支配権を拡張した。

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世界大百科事典(旧版)内の武家政治の言及

【幕府】より

…それゆえ徳川氏は,室町幕府の例にならって殿中の儀礼を定め,足利将軍に近侍していた吉良氏,伊勢氏らを用いて儀式典礼をつかさどらせた。源頼朝から徳川氏まで,鎌倉幕府から江戸幕府までを一貫して幕府政治,武家政治としてとらえる考え方もこの時代に生まれてきた。1867年(慶応3)王政復古の大号令によって幕府は廃された。…

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