北海道西部、後志(しりべし)総合振興局管内の町。1955年(昭和30)発足(はったり)、前田、小沢(こざわ)の3村が合併して共和村となり、1971年町制施行。1857年(安政4)幕府の御手作場(おてさくば)がつくられ、1883年(明治16)には加賀金沢藩が士族授産の起業社を設立するなど開拓の歴史は古い。JR函館(はこだて)本線、国道5号、229号、276号が通じる。北西部の日本海岩内湾に注ぐ堀株(ほりかっぷ)川下流域は岩内平野の一部で、米作のほか、メロン、スイカ、スイートコーン、ジャガイモなどを産する。食品加工業、電子工業も立地している。南部はチセヌプリ、ワイスホルンなどの山々が連なり、ニセコ積丹小樽(しゃこたんおたる)海岸国定公園域。チセヌプリ北側の標高760メートルにある神仙沼周辺は湿原植物の群生地で、付近の神仙沼自然休養林とともにレクリエーション地帯をなしている。面積304.92平方キロメートル、人口5772(2020)。
[瀬川秀良]
中国の最初の紀年。《史記》周本紀によれば西周の後期,周の厲(れい)王が山川の利を王室の専有とし,また言論に弾圧を加えたりしたことから人々の不満がつのり,蜂起した国人(こくじん)(貴族の一部と都市市民)によって王は国都の宗周を追われた。その後の空位の14年間に,宰相の召公と周公とが共同して政治にあたった。この時期を共和という。共和元年は前841年にあたる。ただ《古本竹書紀年》などは,〈共〉国の伯爵の〈和〉という人物が,諸侯たちの奉戴を受け天子のつとめを代行したのだという。《史記》十二諸侯年表に見えるように,この共和の時期から,中国の歴史は正確な紀年をもつ時代に入る。
執筆者:小南 一郎 ところでrepublic(共和制)の訳語に,〈共和〉をあてたのは,幕末において知識人の世界知識の蒙を啓(ひら)くのに大きな役割を果たした箕作(みつくり)省吾の《坤輿図識》(1845)が最初である。彼はこの語の訳に苦しみ,大槻磐渓に問うたところ,上述のごとき古事にちなみ,〈共和政治〉がよろしかろうと教えられた。しかし〈共和〉がすぐに定着したのではなく,この前後には〈共治国〉(渡辺崋山《西洋事情御答書》1839),〈合衆議定〉(杉田玄瑞《地学正宗》1851),〈万民共治〉(加藤弘之《立憲政体略》1868)など多様な訳語が用いられていた。〈共和〉の用例がふえるのは1860年に入ってからで,福沢諭吉のベストセラー《西洋事情》(1866)あたりで,ほぼ定着したといえよう。
執筆者:寺尾 方孝
北海道南西部,後志(しりべし)支庁岩内(いわない)郡の町。人口6428(2010)。1955年前田,小沢,発足(はつたり)の3村が合体して共和村となり,71年町制。町域は西の一部が日本海に面し,岩内平野の主要部,後志山地の南西斜面,ニセコ火山群の北斜面を含んでいる。1857年(安政4)幕府は官費をもって開拓試験地(御手作場(おてさくば))を発足などに設けた。83年には旧金沢藩主前田家の興した起業社による入植が前田に行われ,以後集団移住により開拓が進んだ。90年からは国富鉱山による粗銅製錬が始まった。農業が主産業で,北海道としては水稲収量の安定度が高く,良質米産地に数えられる。スイカ,メロンなどの農産品も出荷され,ワイスホルンのスキー場,景勝地神仙沼がある。JR函館本線が通る。
執筆者:岡本 次郎
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