共和(読み)キョウワ

デジタル大辞泉 「共和」の意味・読み・例文・類語

きょう‐わ【共和】

[名](スル)二人以上の人が共同し和合して事に当たること。
「君民―して」〈金子堅太郎訳・政治論略〉

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精選版 日本国語大辞典 「共和」の意味・読み・例文・類語

きょう‐わ【共和】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ( ━する ) 二人以上の者が共同して仲よく事業や政務などを行なうこと。
    1. [初出の実例]「且つ其共和同遊する群児の快楽を」(出典:彼日氏教授論(1876)〈ファン=カステール訳〉)
    2. [その他の文献]〔史記‐斉太公世家〕
  3. きょうわせい(共和制)
    1. [初出の実例]「政府の体裁は立君にても共和にても其名を問はずして其実を取る可し」(出典:文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉一)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「共和」の意味・わかりやすい解説

共和(町)
きょうわ

北海道西部、後志(しりべし)総合振興局管内の町。1955年(昭和30)発足(はったり)、前田、小沢(こざわ)の3村が合併して共和村となり、1971年町制施行。1857年(安政4)幕府の御手作場(おてさくば)がつくられ、1883年(明治16)には加賀金沢藩が士族授産の起業社を設立するなど開拓の歴史は古い。JR函館(はこだて)本線、国道5号、229号、276号が通じる。北西部の日本海岩内湾に注ぐ堀株(ほりかっぷ)川下流域は岩内平野の一部で、米作のほか、メロンスイカスイートコーンジャガイモなどを産する。食品加工業、電子工業も立地している。南部はチセヌプリワイスホルンなどの山々が連なり、ニセコ積丹小樽(しゃこたんおたる)海岸国定公園域。チセヌプリ北側の標高760メートルにある神仙沼周辺は湿原植物の群生地で、付近の神仙沼自然休養林とともにレクリエーション地帯をなしている。面積304.92平方キロメートル、人口5772(2020)。

[瀬川秀良]



共和
きょうわ / コンホー

中国、青海(せいかい)省東部の県。県政府はチャブチャ鎮にあり、海南(かいなん)チベット族自治州の政府所在地でもある。常住人口12万2966(2010)。青蔵自動車道(西寧(せいねい)―ラサ)、青康自動車道(西寧―康定(こうてい))が通る。青海湖の南、日月山(じつげつさん)西方の牧畜区の中心で、食肉加工皮革、羊毛加工工場などがあり、畜産品の製造交易が盛んである。水力発電風力発電が県の重要な産業となっている。

[駒井正一・編集部 2017年4月18日]

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改訂新版 世界大百科事典 「共和」の意味・わかりやすい解説

共和 (きょうわ)
Gòng hé

中国の最初の紀年。《史記》周本紀によれば西周の後期,周の厲(れい)王が山川の利を王室の専有とし,また言論に弾圧を加えたりしたことから人々の不満がつのり,蜂起した国人(こくじん)(貴族の一部と都市市民)によって王は国都の宗周を追われた。その後の空位の14年間に,宰相の召公と周公とが共同して政治にあたった。この時期を共和という。共和元年は前841年にあたる。ただ《古本竹書紀年》などは,〈共〉国の伯爵の〈和〉という人物が,諸侯たちの奉戴を受け天子のつとめを代行したのだという。《史記》十二諸侯年表に見えるように,この共和の時期から,中国の歴史は正確な紀年をもつ時代に入る。
執筆者: ところでrepublic(共和制)の訳語に,〈共和〉をあてたのは,幕末において知識人の世界知識の蒙を啓(ひら)くのに大きな役割を果たした箕作(みつくり)省吾の《坤輿図識》(1845)が最初である。彼はこの語の訳に苦しみ,大槻磐渓に問うたところ,上述のごとき古事にちなみ,〈共和政治〉がよろしかろうと教えられた。しかし〈共和〉がすぐに定着したのではなく,この前後には〈共治国〉(渡辺崋山西洋事情御答書》1839),〈合衆議定〉(杉田玄瑞《地学正宗》1851),〈万民共治〉(加藤弘之《立憲政体略》1868)など多様な訳語が用いられていた。〈共和〉の用例がふえるのは1860年に入ってからで,福沢諭吉ベストセラー《西洋事情》(1866)あたりで,ほぼ定着したといえよう。
執筆者:


共和[町] (きょうわ)

北海道南西部,後志(しりべし)支庁岩内(いわない)郡の町。人口6428(2010)。1955年前田,小沢,発足(はつたり)の3村が合体して共和村となり,71年町制。町域は西の一部が日本海に面し,岩内平野の主要部,後志山地の南西斜面,ニセコ火山群の北斜面を含んでいる。1857年(安政4)幕府は官費をもって開拓試験地(御手作場(おてさくば))を発足などに設けた。83年には旧金沢藩主前田家の興した起業社による入植が前田に行われ,以後集団移住により開拓が進んだ。90年からは国富鉱山による粗銅製錬が始まった。農業が主産業で,北海道としては水稲収量の安定度が高く,良質米産地に数えられる。スイカ,メロンなどの農産品も出荷され,ワイスホルンのスキー場,景勝地神仙沼がある。JR函館本線が通る。
執筆者:

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普及版 字通 「共和」の読み・字形・画数・意味

【共和】きようわ

協議による政治。その体制。〔史記、周紀〕(れい)王、(てい)に出す。~召、二相を行ふ。號して共和と曰ふ。

字通「共」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「共和」の意味・わかりやすい解説

共和[周]
きょうわ[しゅう]
Gong-he; Kung-ho

中国の西周末期 (前 841~828) の時代。周の厲王 (れいおう) が失政を続け,国人の反乱にあって逃亡したので,有力貴族の召公と周公が協力して摂政をした時代。「共和制」の語源となった。一説によれば共伯和が摂政をしたからともいう。まもなく宣王が即位し,周室は復興した。『史記』の紀年は共和1 (前 841) 年より始っている。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「共和」の解説

共和

正式社名「株式会社共和」。英文社名「KYOWA LIMITED」。ゴム製品製造業。大正12年(1923)前身の「共和護謨合資会社」設立。昭和6年(1931)「共和護謨工業株式会社」設立。同48年(1973)現在の社名に変更。本社は大阪市西成区橘。包装資材メーカー。輪ゴム「オーバンド」や粘着テープ「パイロン」を製造。医療・スポーツ用テープも手がける。

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百科事典マイペディア 「共和」の意味・わかりやすい解説

共和[町]【きょうわ】

北海道南西部,岩内(いわない)郡の町。日本海に注ぐ堀株(ほりかっぷ)川の流域を占める。農業を主とし,米,野菜などの産が多い。特にスイカは,出荷量・販売額とも全道一。国富(くにとみ)にはシポレックス工場と電子工場がある。東部を函館本線が通る。304.91km2。6428人(2010)。

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