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凡兆 ボンチョウ

百科事典マイペディアの解説

凡兆【ぼんちょう】

江戸中期の俳人。姓は野沢,また宮城,宮部などとも。名は允昌。別号,加生,阿圭。金沢の人。京に出て医を業とする。1688年ごろ芭蕉に会い,去来其角らと交わるようになる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぼんちょう【凡兆】

?‐1714(正徳4)
江戸前期の俳人。生年不詳であるが,芭蕉より年長か。姓は野沢,また宮城,越野,宮部ともいわれるが確証はない。名は允昌(いんしよう)。金沢の人。京へ出て医を業とし,達寿を号した。俳諧の初号は〈加賀の人〉の意で加生。晩年は阿圭。1688年(元禄1)4月ころ,京で芭蕉とあい知り,90年夏には,去来と《猿蓑(さるみの)》の共撰を命じられ,芭蕉のねんごろな指導のもと翌年に完成した。同書には44句の発句を収めるが,これは集中第1の入集数である。

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大辞林 第三版の解説

ぼんちょう【凡兆】

?~1714) 江戸前・中期の俳人。金沢の生まれ。野沢氏または宮城氏・宮部氏・越野氏とも。別号、加生。京都で医を業とする。芭蕉の門人で、去来と「猿蓑」を共編。のち、芭蕉から離れた。作風は印象鮮明。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

凡兆
ぼんちょう

野沢凡兆」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

凡兆
ぼんちょう
(?―1714)

江戸中期の俳人。野沢氏。名は允昌(むつまさ)。俳号は初め加生(かせい)、晩年は阿圭(あけい)とも称した。金沢の人で、京に出て医を業としたが、やがて蕉風俳諧(しょうふうはいかい)に近づき、1690年(元禄3)から翌年にかけて、近江(おうみ)・京方面に滞在していた芭蕉(ばしょう)から親しく指導を受け、去来とともに『猿蓑(さるみの)』(1691)の編纂(へんさん)にあたるなど、一躍蕉門の代表的作家の地位を獲得した。しかし、その後まもなく芭蕉から遠ざかり、また事に座して投獄されたりしたため、作風はまったく生彩を失うようになり、とくに晩年は零落した生活を送ったらしい。『猿蓑』時代の俳風は、具象性、叙景性に優れ、感覚的で印象鮮明な句にみるべきものがあった。俳人羽紅(うこう)は彼の妻である。[堀切 實]
 禅寺の松の落葉や神無月(かんなづき)
『井本農一著『野沢凡兆』(『俳句講座2』所収・1959・明治書院) ▽中島斌雄著『同門評判 凡兆』(『芭蕉の本3』所収・1970・角川書店) ▽堀切實著『凡兆論の試み』(『芭蕉・蕪村・一茶』所収・1978・雄山閣出版)』

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世界大百科事典内の凡兆の言及

【猿蓑】より

…2匁5分。編者は京蕉門の去来凡兆であるが,おくのほそ道行脚の後,上方滞在中の芭蕉がこれを後見し,行脚による新風開眼の成果を盛って,俳壇の蕉門認識を新たにした。蕉門の許六・支考が〈俳諧の古今集〉と評しているように,蕉風円熟期を代表する撰集で,のちに《俳諧七部集》の第5集となった。…

※「凡兆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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