20世紀の初頭から現在に至るまで、英米を中心に行われている哲学研究の形態をいう。哲学の問題を考察する際に、言語の働きにとくに注目し、言語の分析を通じて哲学の問題を解決(あるいは解消)しようとする「方法」、および、バークリーやヒュームに起源をもつ経験主義的な考え方を受け継いでいる点が、その特徴である。
[丹治信春]
言語分析、すなわち言語表現の意味を明確化するという作業は、つねに哲学において不可欠であったといってよいであろう。しかし、従来それは哲学的考察に対する一つの補助手段であった。それに対してラッセルは、自らその成立に多大な貢献をした記号論理学を武器として、言語分析を哲学そのものの方法として確立したのである。日常言語における命題の表面的な文法構造から、ときとしてある種の哲学的問題が生じ、また、それに惑わされて奇妙な哲学説が主張されることがある。そこで、そのような命題を真の論理的構造を示すような命題に置き換えることによって、哲学的な問題を解消しようとするのが、「哲学的分析」とよばれる方法である。分析哲学の歴史は、この哲学的分析の方法の展開と批判の歴史である。
[丹治信春]
ラッセルと初期のウィットゲンシュタインは、記号論理学に、世界記述のための理想的な言語の形態をみた。そして彼らは、実在の構造は、記号論理学の構造に直接対応するものと考えた。これが論理的原子論とよばれる考えである。その考えによれば、実在を記述するための唯一の「理想言語」においては、まずもっとも単純な命題として、互いに独立な「原子命題」があり、他のすべての命題(複合命題)は、原子命題から真理関数的に、すなわちそれに含まれる原子命題の真偽だけからその複合命題の真偽が決まるような形で、合成されたものである。すると、複合命題の真偽の問題は、結局、それを構成する原子命題の真偽の問題に帰着する。そして、その原子命題に対応して、実在の側に「原子的事実」が想定されるわけである。
[丹治信春]
論理的原子論の考えは、当時(1920年代)ウィーンを中心に始まった、マッハの流れをくむ実証主義者たちの運動に大きな力を与えた。論理的原子論の考えと、その基礎にある分析の方法によって、世界について語るすべての命題に対して、われわれの直接経験という基盤を与え、科学の命題に実証主義の立場から明確な意味を付与しうると考えられたのである。それは同時に、彼らからみればきわめてうさんくさいものである形而上(けいじじょう)学を、確かな知識としての科学からきっぱりと区別できる、ということである。そのような考えを彼らは、「検証可能性の原理」として表現した。すなわち、形而上学の命題は科学の命題と違って、直接経験によって真偽を検証することができないがゆえに無意味なのだ、と主張したのである。
しかし、論理的原子論にも論理実証主義にも、その明快さとは裏腹に多くの困難があることがしだいに明らかになり、1930年代以降、その方針は変更されてゆくことになる。その一つの流れは、アメリカを中心とした「人工言語学派」であり、もう一つは、イギリスを中心とした「日常言語学派」である。
[丹治信春]
論理実証主義の延長線上でその改良を図ったのが、カルナップらの人工言語学派である。カルナップは、哲学の仕事を「科学の論理学」と位置づけ、科学に適した厳密な言語の論理的構成を精力的に行った。しかし、「唯一の理想言語」という考えはとらず、複数の言語の共存を認めた(寛容の原理)。そして彼は、しばしば事実をめぐる「哲学的」問題と考えられているものが、実はどの言語を採用するかという選択の問題なのだ、と主張した。カルナップは、言語の論理的・意味論的規則を科学の経験的内容から切り離して論ずることができる、と考えたが、クワインは、その区別(分析命題と総合命題との区別)に対して重大な異議を唱えた。それはまた、論理実証主義者による直接経験への還元的分析の可能性に対する疑義でもある。そして彼は代案として、理論が全体として経験と対峙(たいじ)するという、全体論的な理論像(言語像)を提示した。
[丹治信春]
イギリスを中心とする日常言語学派においては、記号論理学を指針として人工言語を構成するのではなく、現にあるがままの日常言語の実際の使用法を注意深く記述する、という方法による分析が行われた。これは以前からムーアが行っていた分析の作業の延長であるが、それが今日にまで及ぶ流れとなったことには、後期のウィットゲンシュタインの影響が大きい。彼によれば、哲学的な「問題」や「学説」は、日常的なことばの使用法の誤解から生じるのであり、その使用法を注意深く記述してその誤解を解くことによって、解消すべきものである。まさにそれこそが、哲学者の仕事なのである。日常言語分析で大きな成果をあげたほかの哲学者としてはオースティン、ライルらがいる。
[丹治信春]
『B・ラッセル著、中村秀吉訳『哲学入門』(社会思想社・現代教養文庫)』▽『A・J・エイヤー著、吉田夏彦訳『言語・真理・論理』(1955・岩波書店)』▽『黒田亘編『ウィトゲンシュタイン』(1978・平凡社)』▽『G・J・ワーノック著、坂本百大・宮下治子訳『現代のイギリス哲学』(1983・勁草書房)』
哲学的問題に対し,その表現に用いられる言語の分析から接近しようとする哲学。論理分析logical analysis,哲学的分析philosophical analysisともいう。言語の分析にかぎらず広く言語の考察から哲学的問題に迫ろうとする哲学をすべて〈分析哲学〉と呼ぶこともあるが,これは不正確である。
言語分析は20世紀の初頭,B.A.W.ラッセルとG.E.ムーアによって始められたといってよい。彼らは当時イギリスにおいて盛んであった,世界は分析しがたい一つの総体だとするヘーゲル的思考に反対して,世界は複合的なものであり,要素に分解しうるとし,この考えを実体間の外在的関係の理論によって論理学的,形而上学的に基礎付けた。ムーアは物や時間,場所など常識が存在するとするものをすべて実在すると考えたが,それらの概念を綿密に分析することによって言語分析への通路を開いた。これに対してラッセルは,〈黄金の山を論ずるときにはある意味で黄金の山は存在しなければならない〉とするマイノングの考えに反対して記述理論に到達したが,それは,たとえば〈現在のフランス王ははげである〉という言明の主語が見かけ上のものであって本当は主語ではないとするというような言語分析であった。ラッセルは存在論に言語分析から迫ったのである。彼はこの記述理論の他方で経験世界に関する多くの言明に登場する名前を消去して,真に存在するものの名前とそのような存在者を指す変項だけしか登場しない言明に置き換えていった。このとき,ラッセルにとって真に存在するものは,1910年代から20年代にかけては,個別的な〈感覚与件〉ないし〈事件〉であって,物や心,時空的位置のような他の存在者は前者から構成されるものであった。このような構成の手引となったものは,彼自身その構成に寄与した数理論理学の言語であった。日常言語による表現はかならずしも存在構造をそのまま反映するものではない。むしろ論理学の人工言語こそわれわれに存在の構造を教えてくれる。彼が若きウィトゲンシュタインの影響のもとに書いた《論理的原子論の哲学》(1918)はこの思想をよく表している。
ラッセルに影響を与えたウィトゲンシュタインは《論理哲学論考》(1922)において,ラッセルよりもさらに徹底して世界を単純・独立な〈事態〉の複合として,〈事態〉をまた〈対象(実体)〉の連鎖としたが,それは世界を完全に明瞭に表現したときの言語表現に〈示される〉ものと考えた。20年代の後半から30年代にかけて盛んとなった論理実証主義は《論考》時代のウィトゲンシュタインから大きな影響を受けたが,一方先鋭な実証主義,反形而上学,科学主義とくに物理学主義をもって知られる。しかし論理実証主義者,とくにその代表者カルナップは《論考》の思想を規約主義的に変形して理解し,哲学的活動を一種の言語分析として規定した。それは形而上学に対してはその言明の無意味性を主張し,特殊諸科学に対してはその言語の統語法を論ずる論理的統語論を構成することであった。形而上学的言明が無意味であるとはその真理性が検証できないことである。その原理は有意味性の規準を検証可能性におくことである。ラッセルとウィトゲンシュタインの思想を受け継いで論理学と数学はトートロジーとし,言語を数理論理学の言語になぞらえて一種の計算体系として,人工言語として再構成されるとする。それは学問の各分野に即した別々の言語として行われるが,その構成は一意的なものではありえず,構成の成果に照らして修正される規約的なものである。しかしこの考えは実証主義と言語論の両面から間もなく行き詰まる。検証可能性による意味論はせまきにすぎて,自己を含めたすべての哲学を無意味にするばかりでなく,科学の多くの表現が無意味になってしまうことがわかってきた。その上,ある言語の考察は,たとえ人工言語に対するものであっても,統語論の角度だけでは不十分で,意味論的考察が必要であることが,タルスキーの真理論などを機縁に明らかになってきた。そこでカルナップは,タルスキーの真理論の示唆によって分析的真理や様相概念を意味論的に定義しようとした。
以上のような分析哲学の動向に対しては,二つの角度からの痛烈な批判が50年代になされることとなる。一つはクワインを代表とするものである。それは伝統的な哲学においてもカルナップにおいても当然のものとして前提されていた分析的言明と統合的言明との原理的区別を否定するものであった。それは〈意味とは何か〉という問題を改めて提起した。クワインは一般に意味,内包,属性,命題を実体的なものとしてとらえることに異議を唱えたのである。もう一つは日常言語に着目する角度である。それまでの言語分析は論理学や数学の言語を範型にとった人工言語を主要な対象としたが,がんらい言語とは日常言語であり,日常言語のあり方を子細に点検すると従来の言語分析の方法は根本的に誤っていることがわかるとするものである。その代表的な論者は後期のウィトゲンシュタインであった。彼は〈真の言語形式は実在形式を写し出している〉という《論考》の根本思想を一擲した。言語の現実の機能を具体的に吟味してみると,名前が対象を指し,単純文が原子的事態を表すというような素朴なことはいえず,同じ文も場面が違えば違った役割をする。言語とは世界の写し絵ではなく,人間の相互交流の一形式,生活形式であるにすぎない。〈言表の意味とはその使用である〉。こうして50年代にはとくに日常言語学派がイギリスにおいて隆盛を極めることとなったが,それは語や文の意味や指示をその使用の状況・脈絡において考察するものであった。日常言語が重要なことは,心の働きや行為を表す語が基本的に日常言語であることによってわかる。言語分析は日常言語の考察に至って初めて伝統的な哲学的問題の解明に寄与することができたといってよい。しかしその方法はすでに言語分析の枠を超えているともいえる。またあまりにも事例主義的な日常言語学派の方向も行き詰まり,最近では論理学におけるモデル理論を援用したり,新しい言語学の成果を取り入れたりして日常言語の解明が進んでいる。
→論理実証主義
執筆者:中村 秀吉
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(石川伸晃 京都精華大学講師 / 2007年)
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