ウィットゲンシュタイン(読み)うぃっとげんしゅたいん(英語表記)Ludwig Josef Johann Wittgenstein

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィットゲンシュタイン」の意味・わかりやすい解説

ウィットゲンシュタイン
うぃっとげんしゅたいん
Ludwig Josef Johann Wittgenstein
(1889―1951)

おもにイギリスで活躍した分析哲学者。4月26日ウィーンに生まれる。初めベルリンで工学を学んだが、1908年からマンチェスターに移り、航空機のプロペラの設計を研究するうちに、その数学的側面への関心から数学の基礎研究に転じた。フレーゲおよびB・ラッセルの著作を知り、その結果、ケンブリッジ大学でラッセルに就いて学ぶ(1912~1913)。第一次世界大戦中はオーストリア軍に従軍し、イタリアで捕虜となるが、このころまでには『論理哲学論考』を完成していた。これはドイツで1921年に出版され、翌1922年にはラッセルの序文を付した独英対訳版が出版された。当時ウィットゲンシュタインは、この著作で哲学の諸問題に対する決定的な解答を与えたと信じていた。それゆえ、哲学を放棄し、オーストリアの山村で小学校の教員を務めた。しかし、ケンブリッジから訪ねてきた数学者で哲学者のラムゼーFrank・P・Ramsey(1903―1930)や、ウィーン学団のメンバーとの接触から、ふたたび哲学への関心をよみがえらせ、1929年にはケンブリッジへ戻ることになった。これに続く3、4年の間に、おもに自己批判を通じて、徐々に哲学上の新しい立場へと移行した。1939年にはG・E・ムーアの後任としてケンブリッジの哲学教授となったが、1947年、研究に専念するため辞任した。しかし、彼の健康はすでに損なわれており、1951年4月29日癌(がん)のために没した。

 ウィットゲンシュタインの哲学は、明らかに前期後期の二つに区分される。前期の哲学は『論理哲学論考』に集約されている。後期の哲学を代表する著作は、彼の生前には刊行されなかったが、『哲学探究』(1953)である。このほかにも膨大な遺稿があるが、それらの多くは弟子たちの手によって編集・刊行されている。前期から後期を通じて、ウィットゲンシュタインの中心的主張は、哲学的問題がわれわれの普段使用している言語の働きの誤解から生ずる、ということにある。したがって、彼が求め続けたのは、われわれの言語の働きの正しい理解であったといえる。前期の哲学においては、言語の本質を、文は可能な事態の像である(「言語写像説」とよばれる)という点に求めたが、この観点は後期の哲学で根本的な批判を受ける。

 後期の哲学においては、言語的活動が社会的活動のなかに織り込まれていることが強調され、言語は本質的に社会的なものとしてとらえられる。像とのアナロジーにかわって、言語は道具と類比されることになり、語の意味は多くの場合にその用法である、とされる。言語の働きを明瞭(めいりょう)に見て取るために「言語ゲーム」という概念が導入され、仮想的な言語ゲームの考察から多くの哲学的問題の解消が図られた。後期の哲学でとくに集中的な分析の対象となったのは、(1)期待や意図といった「心的」な概念、および、(2)規則に従う活動における「規則に従う」ということの意味である。後者の問題は、有名な「私的言語」の批判と密接な関連をもつ。

[飯田 隆 2015年2月17日]

『山本信・大森荘蔵他訳『ウィトゲンシュタイン全集』全10巻・補巻2(1975~1988・大修館書店)』『黒田亘著『経験と言語』(1975・東京大学出版会)』

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