《古列女伝》ともいう。中国の古来の著名な女性たちの伝記を,母儀,賢明,仁知,貞順,節義,弁通,孼嬖(げつへい)の7類に分けて集める。7巻。各伝の終りに《詩経》が引用され,君子の評語がついたりして,教訓的な説話集の形をとるが,たとえば夫が官位につくのを願わぬ接輿(せつよ)の妻の伝が収められたりして,儒家的な価値観のみでまとめられた書物ではない。編者は前漢の劉向(りゆうきよう)とされるが,それを疑う説もある。少なくとも現行本が劉向の原本そのままでないことは確かである。なお《列女伝》が図に描かれることが多かったことが文献記録に見えるが,実例として北魏の司馬金竜墓出土の屛風の漆画がのこる。
執筆者:小南 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、前漢の劉向(りゅうきょう)の撰(せん)『古列女伝』7巻や明(みん)の解縉(かいしん)撰『古今列女伝』3巻などの単行列女伝のほか、『後漢書(ごかんじょ)』などの正史に付された列女伝がある。『古列女伝』は堯(ぎょう)・舜(しゅん)の時代より戦国末までの模範や戒めとするに足る婦女の逸話を列叙し、母儀、賢明、仁智(じんち)、貞順、節義、弁道、孼嬖(げっぺい)の7伝からなる。もとは8篇(へん)だったらしいが、六朝(りくちょう)ごろには旧態が失われた。現行の清(しん)朝の王照圓(しょうえん)(1763―1851)の補注本は班昭撰とも項原撰ともいう漢代婦女の逸話集をも加えた八巻本である。『古列女伝』は孟母三遷(もうぼさんせん)のごとき美談のみか、末喜(ばっき)、妲己(だっき)らの悪女亡国譚(だ)も載せたが、後続の列女伝からは背徳譚は姿を消した。『古列女伝』の日本渡来は古く、平安時代のことらしいが、江戸時代に入り、1654年(承応3)に朝鮮王朝(李氏(りし)朝鮮)刊の『新続列女伝』と合刻の訓点本が刊行された。同時期には、黒沢弘忠(ひろただ)(1612―1678)の『本朝列女伝』や北村季吟(きぎん)の『仮名列女伝』も出版されている。
[山崎純一]
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