前二子古墳(読み)まえふたごこふん

日本歴史地名大系 「前二子古墳」の解説

前二子古墳
まえふたごこふん

[現在地名]前橋市西大室町 二子山

赤城山南麓の裾野、東のかつら川、西の神沢かんざわ川に挟まれた台地にあり、古墳の位置は標高約一三〇メートル、当古墳の北西一三〇メートルには、互いの周堀をほとんど接して中二子なかふたご古墳があり、さらにこの北西二〇〇メートルの所に後二子うしろふたご古墳があって、主軸をほぼ東西に向けた三基の大型前方後円墳が並列してある。昭和一〇年(一九三五)にはこれら古墳のある西大室にしおおむろ町・東大室町地区で、前方後円墳六基を含む二〇二基の古墳が確認され、これらの地区を含む旧荒砥あらと村では、前方後円墳一八基を含む三六五基が確認された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「前二子古墳」の解説

まえふたごこふん【前二子古墳】


群馬県前橋市西大室町にある前方後円墳。赤城山南麓の低丘陵に所在し、中二子古墳・後二子古墳と近接している。1878年(明治11)に石室が開けられ、四神付き飾り土器をはじめとする多くの副葬品出土して注目を集め、1927年(昭和2)に国の史跡に指定された。1992年(平成4)に発掘調査が行われた結果、古墳の規模は全長148m、墳丘長約94m、後円部径約69m、前方部幅約65m、高さ約14mで2段築成となっており、墳丘上段全面に葺石(ふきいし)が施され、外周と墳丘の1段目と墳頂部に円筒埴輪(はにわ)、朝顔形埴輪形象埴輪が並べられていることが確認された。主体部は後円部の南側にあり、両袖形の横穴式石室で全長13.75m。玄門から奥石までの前半部に、両側の壁際と玄門に接して「コ」の字状に16個の土器が置かれ、奥壁と玄室中央部にある間仕切り石間の四隅に金銅製の杏葉(ぎょうよう)、中央に青色のガラス玉、手前に銅鏡1面、間仕切り石に接して鉄製鉾が出土。周辺は大室公園として整備された。上毛電鉄中央前橋駅から日本中央バス「西大室」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「前二子古墳」の意味・わかりやすい解説

前二子古墳
まえふたごこふん

群馬県前橋市西大室(にしおおむろ)町にある6世紀前半の前方後円墳。丘陵性台地の一角を占め、前方部が西面している。全長92メートル、後円部径71メートル、前方部幅61メートルで、高さは後円部で12メートルある。周濠(しゅうごう)は幅10メートル内外で巡り、中堤址(し)も一部に残している。葺石(ふきいし)、埴輪(はにわ)類も存在する。主体部は後円部南側に開口する両袖(りょうそで)型横穴式石室で、全長13.96メートル。角礫(かくれき)を乱石積みした側壁の表面には赤色で塗彩している。1878年(明治11)に発掘され、仿製(ぼうせい)鏡、武器類、馬具類、小玉、金環類、須恵器(すえき)類、土師器(はじき)類が発見された。北関東地方における横穴式石室初現期の代表的古墳の一つであり、隣接して中二子(なかふたご)古墳、すこし離れて位置する後二子(うしろふたご)古墳とともに赤城(あかぎ)山南面地域の後期古墳を代表する。1927年(昭和2)国の史跡に指定された。

[梅澤重昭]

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