精選版 日本国語大辞典 「前田慧雲」の意味・読み・例文・類語
まえだ‐えうん【前田慧雲】
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明治・大正期の仏教学者。三重県桑名の真宗本願寺派の末寺に生まれる。西本願寺の設立した京都西山教授校に学び、三井寺(みいでら)(園城寺)の大宝律師(1804―1884)から古典的な仏教学を習得した。1880年(明治13)父の死によりいったん帰郷したが、ふたたび京都へ上り、さらに九州の松島善譲(まつしまぜんじょう)(1806―1886)のもとで浄土真宗の歴史を研究した。1888年には東京に上り、大内青巒(おおうちせいらん)らの尊皇奉仏大同団に加わり、一時期政治活動に従った。1903年(明治36)『大乗仏教史論』により文学博士の学位を受ける。東京帝国大学などの講師、東洋大学・龍谷(りゅうこく)大学などの学長を歴任。また『大日本続蔵経』の刊行にも尽力した。著述はほかに『本願寺派学事史』『天台宗綱要』などがある。伝統的な仏教学を近代に生かした学風で知られる。
[末木文美士 2017年10月19日]
浄土真宗本願寺派(西本願寺)の学僧。伊勢国(三重県)桑名の同派西福寺の生れ。号は含潤道人,止舟。少年時代に桑名藩校興譲館の大賀旭川,尾張藩学頭佐藤牧山らに漢籍,詩文を学び,19歳で西本願寺設立の西山教授校に入り,のち山命により比叡山で天台学を,また九州の松島善譲に宗学を学んだ。1888年上京して大内青巒らの尊皇奉仏大同団の幹部となり,91年本山新法主光瑞のために学問所主事となった。のち98年同派大学林副総理,1900年東京帝国大学文科大学講師,06年東洋大学長,22年竜谷大学長を歴任した。この間,文学博士,同派勧学職を受け,《大日本続蔵経》の編集長を務めて完成させた。《前田慧雲全集》8巻がある。
執筆者:柏原 祐泉
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