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前田慧雲 まえだ えうん

美術人名辞典の解説

前田慧雲

仏教学者。三重県生。号を含潤道人・止舟。真宗本願寺派の学問所主事を務め、同派大学校の副総理を経て、教務講究所長・東大講師となり、東洋大などでも講義を行なった。高輪仏教大学長東洋大学長・竜谷大学長となる。数多くの研究があるが、中でも天台研究に功績を残した。書画の方面でも一家を成す。昭和5年(1930)歿、74才。

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デジタル大辞泉の解説

まえだ‐えうん〔まへだヱウン〕【前田慧雲】

[1857~1930]仏教学者。三重の生まれ。東洋大学・竜谷大学の学長を勤める。「大日本続蔵経」を刊行した。著「本願寺派学事史」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前田慧雲 まえだ-えうん

1857-1930 明治-昭和時代前期の僧,仏教学者。
安政4年1月14日生まれ。西本願寺西山学校でまなび,明治24年浄土真宗本願寺派法主大谷光瑞(こうずい)の学問所主事となる。編集長として「大日本続蔵経」の刊行につくす。38年勧学。高輪仏教大,東洋大,竜谷大の学長をつとめた。昭和5年4月29日死去。74歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。著作に「大乗仏教史論」「本願寺派学事史」。

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世界大百科事典 第2版の解説

まえだえうん【前田慧雲】

1857‐1930(安政4‐昭和5)
浄土真宗本願寺派(西本願寺)の学僧。伊勢国(三重県)桑名の同派西福寺の生れ。号は含潤道人,止舟。少年時代に桑名藩校興譲館の大賀旭川,尾張藩学頭佐藤牧山らに漢籍,詩文を学び,19歳で西本願寺設立の西山教授校に入り,のち山命により比叡山で天台学を,また九州の松島善譲宗学を学んだ。1888年上京して大内青巒らの尊皇奉仏大同団の幹部となり,91年本山新法主光瑞のために学問所主事となった。のち98年同派大学林副総理,1900年東京帝国大学文科大学講師,06年東洋大学長,22年竜谷大学長を歴任した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

前田慧雲
まえだえうん

[生]安政2(1855).1.14. 桑名
[没]1930.4.29. 東京
真宗大谷派の学僧。含潤,止舟斎と号す。 1888年に尊王奉仏を唱え,新法主学問所の主事として活躍。のち東京大学講師,高輪仏教,東洋,竜谷各大学の学長を歴任。『大日本続蔵経』を刊行した。主著『大乗仏教史論』『仏教今古変一斑』『天台宗綱要』『仏教人生観』『仏教思想講話』。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

前田慧雲
まえだえうん
(1857―1930)

明治・大正期の仏教学者。三重県桑名の真宗本願寺派の末寺に生まれる。西本願寺の設立した京都西山教授校に学び、三井寺(みいでら)の大宝律師から古典的な仏教学を習得した。1880年(明治13)父の死によりいったん帰郷したが、ふたたび京都へ上り、さらに九州の松島善譲(ぜんじょう)のもとで浄土真宗の歴史を研究した。88年には東京に上り、大内青巒(せいらん)らの尊皇奉仏大同団に加わり、一時期政治活動に従った。1903年(明治36)『大乗仏教史論』により文学博士の学位を受ける。東京帝国大学などの講師、東洋大学・龍谷(りゅうこく)大学などの学長を歴任。また『大日本統蔵経』の刊行にも尽力した。著述はほかに『本願寺派学事史』『天台宗綱要』などがある。伝統的な仏教学を近代に生かした学風で知られる。[末木文美士]

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