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劉晏 りゅうあんLiu Yan; Liu Yen

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

劉晏
りゅうあん
Liu Yan; Liu Yen

[生]開元3(715)
[没]建中1(780)
中国,唐中期の官僚。曹州南華 (河北省東明県) の人。字は士安。夏県令から諸官を歴任し,財務官僚として活躍した。安史の乱後の国家財政の建直しにあたって塩鉄使転運使を兼ね,才腕をふるった。

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デジタル大辞泉の解説

りゅう‐あん〔リウ‐〕【劉晏】

[715~780]中国、の政治家。曹州南華(河北省)の人。代宗に仕え、塩の専売制の確立や江南から華北への物資の運輸法で利益を上げ、安史の乱後の財政再建に尽力。

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世界大百科事典 第2版の解説

りゅうあん【劉晏 Liú Yàn】

718‐780
中国,唐代の財政家。字は士安。曹州南華(山東省の西端)の人。8歳のとき,神童として太子正字の官職を授けられた。安史の乱が勃発して国家財政が窮乏するや,財政担当の大臣に任じられ,塩鉄使,転運使といった使職を兼ねて,財政改革を行った。第五琦(729‐799)によって創設された塩の専売法を改良し,塩利の一部を運送の費用に充当するなどして,東南地方の米を国都に運ぶ漕運法を整備した。その結果,専売収入が国家財政の半ばを占めるまでに増大し,つぎの宋代にうけつがれた。

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大辞林 第三版の解説

りゅうあん【劉晏】

715~780) 中国、唐の政治家。字あざなは士安。代宗に仕え、塩の専売や南北漕運で利をあげ、安史あんしの乱後の財政再建に成功。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

劉晏
りゅうあん
(715/716―780)

中国、唐中期の政治家。字(あざな)は士安。曹州(河北省)の人。幼少時は神童の称があり、賢良方正にあげられた。地方官として令名をはせ、安史の乱に中央に召用され、代宗(在位762~779)が即位すると戸部侍郎となり、度支(たくし)、塩鉄、転運などの財務の諸使職を兼ね、763年に宰相となった。事に連座して宰相を辞めたが、ふたたび塩鉄などの使職を兼領し、江淮(こうわい)地方の物資の効率的な華北への運輸法や塩の専売制を確立し、安史の乱後の紊乱(びんらん)、窮迫した国家財政の再建に貢献した。780年ごろ、塩利(塩の専売益金)は全歳入1200万貫の過半となったが、民衆は苦痛を訴えなかったという。しかし徳宗がたち政敵楊炎(ようえん)が宰相になると、その讒(ざん)にあい、忠州(四川(しせん)省)に貶謫(へんたく)、誅(ちゅう)された。[松井秀一]

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世界大百科事典内の劉晏の言及

【漕運】より

…しかし,輸送が円滑に行われないと長安は食糧難に陥り,皇帝は百官を従え物資を求めて洛陽まで行くこともたびたびあった。安史の乱で漕運組織が破壊されたのち,劉晏(りゆうあん)が大改革を行い水路や輸送船,倉庫などを整備し,長江から北の運送はすべて政府が行うことになった。 しかし,これにも限度があり,五代には後唐を除く4王朝がみな漕運の便利を考えて,黄河と運河との交点に当たる開封に都をおいた。…

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