出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、唐中期の政治家。字(あざな)は公南。鳳翔(ほうしょう)(陝西(せんせい)省)の人。祖父、父、本人と三代にわたり孝をもって表彰された。地方藩鎮の掌書記を振り出しに、中央に入り中書舎人となり、常袞(じょうこん)と制誥(せいこう)(詔勅の文)を起草し、「常楊」と並称された。同郷の宰相元載(げんさい)に認められて吏部侍郎となる。元載の失脚から地方にうつされたが、徳宗が即位すると、宰相崔祐甫(さいゆうほ)の推挙を受けて宰相となった。780年、彼の建議により、安史の乱後の紊乱(びんらん)した国家財政の安定を図って、租庸調制を廃し両税法が断行された。両税法は以後明(みん)代に一条鞭法(いちじょうべんぽう)が施行されるまで中国税制の基本となった。
権勢を握った楊炎は、推挙を受けた崔祐甫を排し、元載を徳とし、元載の失脚に対する復讐(ふくしゅう)に執心し、これに関係ありとして政敵劉晏(りゅうあん)を讒(ざん)して死に至らしめた。しかし彼の中央集権策は諸藩鎮の反発を買い、徳宗の信頼を失い、最後は彼自身も宰相盧杞(ろき)の讒にあって崖州(がいしゅう)(海南島)司馬に左遷され、その途中で死を賜った。
[松井秀一]
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727~781
唐の政治家。鳳翔(ほうしょう)天興(陝西(せんせい)省鳳翔県)の人。徳宗の初め宰相となり,財政を宦官(かんがん)より取り戻し,780年両税法を施行した。前代の宰相元載(げんさい)の仲間で,その処罰を行った劉晏(りゅうあん)を恨み,これを殺したが,やがて自分も失脚し殺された。
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