日本歴史地名大系 「劔岳」の解説
劔岳
つるぎだけ
立山町・
劔岳は古来「人間登る能はず、人間登るべからず」といわれ、神聖不可踏の山と畏敬されてきた。橘南谿は「東遊記」巻末の名山論のなかで「山の姿峨々として嶮岨画のごとくなるは越中立山の劔峯に勝れるものなし」「最も高く聳え、たがひに相争ふ程なる峯五ツあり、劔峯も其一也」と論じた。「万葉集」巻一七などに歌われた
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
立山町・
劔岳は古来「人間登る能はず、人間登るべからず」といわれ、神聖不可踏の山と畏敬されてきた。橘南谿は「東遊記」巻末の名山論のなかで「山の姿峨々として嶮岨画のごとくなるは越中立山の劔峯に勝れるものなし」「最も高く聳え、たがひに相争ふ程なる峯五ツあり、劔峯も其一也」と論じた。「万葉集」巻一七などに歌われた
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富山県東部,中新川郡上市町と立山町との境にそびえる飛驒山脈北部の山。立山の北に位置し,標高は2999m。主として古期セン緑岩で構成され,それを輝緑岩が貫いている。これらの岩石の節理とその系統に沿って多くの垂直の割れ目があり,これを浸食した雪氷の働きによって,剣を立てたような峻険な山容が形成されている。山頂からは,北西側に小窓尾根,早月尾根,南東側に八峰,長次郎尾根,源次郎尾根など,いくつかの岩峰が派出し,これらの岩尾根にはさまれて,池ノ谷(いけのたん)や大窓,小窓,三ノ窓の雪渓など,この地方で〈窓〉とよばれる懸垂氷食谷がみられる。また南東側の劔沢雪渓には万年雪がたたえられている。
1907年陸地測量官柴崎芳太郎が,山頂で平安時代初期の錫杖(しやくじよう)と鏃(やじり),岩屋のたき火跡を発見し,早くから修験者たちが登頂していたことが判明した。劔岳は,山岳宗教の上では不動明王にたとえられ,立山信仰では地獄谷に対し針の山に擬せられた。現在の劔岳登山の一般ルートは,南方の別山尾根から一服劔(2618m),前劔(2813m)を経て山頂に至るもので,西側の早月川上流の馬場島(ばんばじま)から早月尾根を通るコースは,距離が長く標高差もあり,一般向きではない。
執筆者:深井 三郎
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