劔岳(読み)つるぎだけ

日本歴史地名大系 「劔岳」の解説

劔岳
つるぎだけ

立山町・上市かみいち町にまたがり、飛騨系の閃緑岩・斑糲岩で構成された峨々たる岩山。標高二九九八メートル。まさに剣の刃を並べ突立てたごとき山容で、立山連峰中最峻最険の岩の殿堂とされる。南稜は前劔まえつるぎ一服劔いつぷくつるぎ劔御前つるぎごぜんを連ね別山べつさん乗越(二七四〇メートル)に至り、これを別山尾根と称する。北稜は小窓こまどおう小窓こまどあたまいけだいら山・大窓おおまどあたまなど、鋸のような岩峰をうち重ね、白兀しらはげ赤兀あかはげに続く。東側にはッ峰・源治郎げんじろう尾根を派出し、西側には長大な早月はやつき尾根が延び、劔尾根・小窓尾根などの険しい痩尾根を突き出している。主稜各所に谷頭が大きく切込み、大窓・小窓・さんまどなどの独特の地形を形成し、幾筋もの大雪渓をなぎ落すなど、その景観は豪壮を極めている。江戸時代の文献では山名は「劔ケ岳」のかたちが多く、また「劔山」「劔峯」とかなり自由で、「劔ノ御嶽」「劔御前」と尊称した例も多い。用字もまた一定せず、「劔」およびその異体字「」が最多であるが、「剣」「劒」も使用されている。陸地測量部の地図では「劔」字が用いられたが、比較的用例は少ない。江戸期の測量図では、加賀藩の石黒信由も幕府の伊能忠敬も「劔」を用いている。山廻役作製の古地図は「釼」が多く、「劔」がこれに次ぐ。漢学者には比較的「剣」の用例が多い。タケに対しても「岳」「嶽」ともに使用されているが、「嶽」がやや多い。

劔岳は古来「人間登る能はず、人間登るべからず」といわれ、神聖不可踏の山と畏敬されてきた。橘南谿は「東遊記」巻末の名山論のなかで「山の姿峨々として嶮岨画のごとくなるは越中立山の劔峯に勝れるものなし」「最も高く聳え、たがひに相争ふ程なる峯五ツあり、劔峯も其一也」と論じた。「万葉集」巻一七などに歌われた多知夜麻たちやまは立山連峰の総称であるが、その景観の中心をなしたのは劔岳であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「劔岳」の意味・わかりやすい解説

劔岳 (つるぎだけ)

富山県東部,中新川郡上市町と立山町との境にそびえる飛驒山脈北部の山。立山の北に位置し,標高は2999m。主として古期セン緑岩で構成され,それを輝緑岩が貫いている。これらの岩石の節理とその系統に沿って多くの垂直の割れ目があり,これを浸食した雪氷の働きによって,剣を立てたような峻険な山容が形成されている。山頂からは,北西側に小窓尾根,早月尾根,南東側に八峰,長次郎尾根,源次郎尾根など,いくつかの岩峰が派出し,これらの岩尾根にはさまれて,池ノ谷(いけのたん)や大窓,小窓,三ノ窓の雪渓など,この地方で〈窓〉とよばれる懸垂氷食谷がみられる。また南東側の劔沢雪渓には万年雪がたたえられている。

 1907年陸地測量官柴崎芳太郎が,山頂で平安時代初期の錫杖(しやくじよう)と鏃(やじり),岩屋のたき火跡を発見し,早くから修験者たちが登頂していたことが判明した。劔岳は,山岳宗教の上では不動明王にたとえられ,立山信仰では地獄谷に対し針の山に擬せられた。現在の劔岳登山の一般ルートは,南方の別山尾根から一服劔(2618m),前劔(2813m)を経て山頂に至るもので,西側の早月川上流の馬場島(ばんばじま)から早月尾根を通るコースは,距離が長く標高差もあり,一般向きではない。
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百科事典マイペディア 「劔岳」の意味・わかりやすい解説

劔岳【つるぎだけ】

剣岳とも書く。富山県東部,立山の北側にある山。標高2999m。古来より神聖不可踏の山として畏敬(いけい)されていた。片麻岩質のセン緑岩からなり,北は池ノ平山,南は前劔,劔御前に連なる。山体の険しさで知られ,特に東斜面は懸垂氷食谷の平蔵谷,長次郎谷,三ノ窓が深く刻み,その間に日本アルプスの代表的岩登りの場とされる八ッ峰(やつみね)や源次郎尾根がある。劔御前東麓の劔沢小屋,西の早月尾根末端の馬場島(ばんばじま)から登山路がある。
→関連項目木暮理太郎ジャンダルム中部山岳国立公園富山[県]日本百名山

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