日本歴史地名大系 「劔岳」の解説
劔岳
つるぎだけ
立山町・」が最多であるが、「剣」「劒」も使用されている。陸地測量部の地図では「劔」字が用いられたが、比較的用例は少ない。江戸期の測量図では、加賀藩の石黒信由も幕府の伊能忠敬も「劔」を用いている。山廻役作製の古地図は「釼」が多く、「劔」がこれに次ぐ。漢学者には比較的「剣」の用例が多い。タケに対しても「岳」「嶽」ともに使用されているが、「嶽」がやや多い。
劔岳は古来「人間登る能はず、人間登るべからず」といわれ、神聖不可踏の山と畏敬されてきた。橘南谿は「東遊記」巻末の名山論のなかで「山の姿峨々として嶮岨画のごとくなるは越中立山の劔峯に勝れるものなし」「最も高く聳え、たがひに相争ふ程なる峯五ツあり、劔峯も其一也」と論じた。「万葉集」巻一七などに歌われた
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報