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加藤土師萌 カトウハジメ

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デジタル大辞泉の解説

かとう‐はじめ【加藤土師萌】

[1900~1968]陶芸家。愛知の生まれ。本名、一(はじめ)。中国・朝鮮の古陶磁器の研究を重ね、色絵磁器・金襴手(きんらんで)などに独創的な作風を示した。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

加藤土師萌【かとうはじめ】

陶芸家。瀬戸市生れ。本名一(はじめ)。初め陶芸図案家を志し,のち作陶に入る。金襴(きんらん)手,とりわけ黄地紅彩の技法を解明し,富本憲吉とともに色絵磁器における双璧と称された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

加藤土師萌 かとう-はじめ

1900-1968 昭和時代の陶芸家。
明治33年3月7日生まれ。日野厚にまなび,のち横浜に窯をきずく。昭和30年東京芸大陶芸科の初代教授となる。中国明(みん)代磁器の技術を再現した独創的な作品を発表。36年色絵磁器で人間国宝。昭和43年9月25日死去。68歳。愛知県出身。本名は一(はじめ)。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

かとうはじめ【加藤土師萌】

1900‐68(明治33‐昭和43)
陶芸家。愛知県瀬戸に生まれる。本名一(はじめ)。陶芸図案家から作陶に進み,1926年岐阜県陶磁器試験場の技師となるかたわら,帝展工芸部に入選を重ねて注目される。40年横浜市日吉に築窯して陶芸に専念,戦後は日展や日本工芸会で活躍。61年〈色絵磁器〉の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。中国明代の金襴手,とくに黄地紅彩の技法を解明。富本憲吉とともに色絵磁器における双璧といわれた。東京芸術大学教授,日本工芸会の理事長を務め,皇居新宮殿の《萌葱金襴手菊文大飾壺》の制作に取り組み,その完成寸前に世を去った。

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大辞林 第三版の解説

かとうはじめ【加藤土師萌】

1900~1968) 陶芸家。愛知県生まれ。本名、一はじめ。陶芸図案家から作陶に進む。富本憲吉とともに色絵磁器の双璧と称された。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

加藤土師萌
かとうはじめ
(1900―1968)

陶芸作家。とくに色絵磁器の世界に一作風を確立した。愛知県東春日井(ひがしかすがい)郡瀬戸町(現瀬戸市西本町)生まれ。本名一(はじめ)。1914年(大正3)に瀬戸の千峯園に陶画工として雇われ、以後陶磁の意匠家としても活躍することとなった。古窯址(こようし)を調査して古陶磁への見識を高め、中国・朝鮮古陶磁に対する技術解明へと追究は進み、晩年にはとくに色絵磁器、金襴手(きんらんで)、青白磁など中国陶磁を技術の手本として作陶を独創的に展開することとなった。55年(昭和30)東京芸術大学の初代陶芸科主任教授になり、61年には「色絵磁器」の重要無形文化財保持者に認定された。[矢部良明]
『吉田耕三編『現代日本陶芸全集12 加藤土師萌』(1982・集英社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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