勅使河原蒼風(読み)テシガワラソウフウ

デジタル大辞泉 「勅使河原蒼風」の意味・読み・例文・類語

てしがわら‐そうふう〔てしがはらサウフウ〕【勅使河原蒼風】

[1900~1979]華道家。大阪の生まれ。本名鉀一こういち長男勅使河原宏。昭和2年(1927)草月流を創流。前衛華道ブームを起こし、生け花国際化推進。生け花のほか彫刻絵画・書など幅広く活躍した。→草月会

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改訂新版 世界大百科事典 「勅使河原蒼風」の意味・わかりやすい解説

勅使河原蒼風 (てしがはらそうふう)
生没年:1900-79(明治33-昭和54)

草月流いけばなの創始者。本名鉀一(こういち)。幼時から父にいけばなを習うが,1927年独立。28年千疋屋ギャラリーで第1回草月流展を開き流麗な抛入(なげいれ),盛花の自由な造形が注目され,急速に草月流の名をひろめた。30年には美術界に起こったアバンギャルド運動の影響を受け,中山文甫,重森三玲らと〈新興いけばな宣言〉を発表,従来の床の間のいけばなからの解放,だれにもできる抛入,盛花を主張した。第2次大戦後は,毛糸針金,ガラスなど日常身辺の素材によるオブジェで草月流を大衆化する一方,枯木,樹根,蔓,石,鉄,陶器などを使ってバロック的なモニュメントを制作し,いけばなを造形芸術としてとらえた。アンフォルメルの指導者M.タピエの支援で,欧米で彫刻個展をひらき,54年サン・パウロ芸術祭,57年ミラノ・トリエンナーレ,61年日独修交百年記念文化使節,63年パリの世界現代芸術巨匠展,65年ベルリン芸術祭などに参加。66年流派を統合して日本いけばな芸術協会を設立,晩年は〈古事記連作に取り組んだ。
草月流
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百科事典マイペディア 「勅使河原蒼風」の意味・わかりやすい解説

勅使河原蒼風【てしがはらそうふう】

いけばな作家。草月流初世家元。本名【こう】一(こういち)。東京生れ。華道家の父勅使河原和風久次に学び,1927年独立。翌年千疋屋ギャラリーで第1回草月流展を開き,流麗な投げ入れや盛花の自由な造形により注目される。1930年には重森三玲らと〈新興いけばな宣言〉を創案し,従来の形式からの解放を主張。第2次大戦後は石,鉄などを使用して造形芸術としてのいけばなを発表し,海外でも広く紹介された。1966年日本いけばな芸術協会初代理事長。代表作に《再建の賦》(1949年),《黒いひまわり》(1951年),《気閑車》(1951年),晩年の《古事記》連作などがある。2世家元霞〔1932-1980〕は長女,3世家元で映画監督の宏〔1927-2001〕は長男。
→関連項目前衛書道草月アートセンター勅使河原宏中川幸夫

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20世紀日本人名事典 「勅使河原蒼風」の解説

勅使河原 蒼風
テシガハラ ソウフウ

昭和期の華道家 草月流創始者。



生年
明治33(1900)年12月17日

没年
昭和54(1979)年9月5日

出生地
東京

本名
勅使河原 鉀一(テシガハラ コウイチ)

主な受賞名〔年〕
レジオン・ド・ヌール勲章〔昭和36年〕,芸術選奨文部大臣賞〔昭和36年〕

経歴
幼年から父・和風久次に遠州流華道を習うが満足せず、昭和2年独立して草月流を創設。前衛美術に刺激され、6年“新興いけばな”を宣言、草月流を伝統的華道と対立する一大勢力に育てあげる。24年日本花道展に大作「再建の賦」を出品、ずば抜けた造形力をみせ、以後前衛いけばなのオピニオンリーダーとして活躍。また石・鉄・巨木など異質花材を駆使したオブジェがブームになり、欧米各地で個展を開くなど、いけばなの芸術性を国際的にも認知させた。41年日本いけばな芸術協会初代理事長。著書に「勅使河原蒼風名作選、華」「私の十二ケ月」「花ぐらし」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勅使河原蒼風」の意味・わかりやすい解説

勅使河原蒼風
てしがはらそうふう
(1900―1979)

本名鉀一(こういち)。花道家和風の長男として生まれる。いけ花を学び、のち独立して1927年(昭和2)草月流を創始、以後近代いけ花の確立に大きな足跡を残した。とくに第二次世界大戦後「再建の賦」「望古譜」などの創作活動に始まり「玄華」「虚像」などの名作を発表、さらに「汽関車」「二羽の鳥」「ひまわり」を経て「古事記」連作をはじめとする造形の大作品は国際的な評価を受け、いけ花の芸術性を内外に高めた。1961年(昭和36)フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与され、翌1962年芸術選奨文部大臣賞受賞。

[北條明直]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勅使河原蒼風」の意味・わかりやすい解説

勅使河原蒼風
てしがはらそうふう

[生]1900.12.17. 東京
[没]1979.9.5. 東京
生け花作家,草月流創始者,初代家元。本名こう一。 1927年華道師範の父久次に離反して,前衛華道の草月流を創流。以後,伝統を脱した盛花投入式の創作生け花や,金属,枯れ枝,根,着色した花材などによるオブジェで注目を集め,流派を発展させ,生け花の海外進出にも貢献した。 1966年,276流派を集めて日本いけばな芸術協会を設立,初代理事長となったが,1971年辞任。主作品『古事記連作』。長男は映画監督の宏 (1927~2001) で,1980年3世家元を継いだ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勅使河原蒼風」の解説

勅使河原蒼風 てしがはら-そうふう

1900-1979 昭和時代の華道家。
明治33年12月17日生まれ。華道家の父和風から独立して昭和2年草月流を創始。5年「新興いけばな宣言」に参加。戦後「再建の賦」「ひまわり」や「古事記」連作などを発表し,生け花の造形美を追究。また海外普及につくした。36年レジオン-ドヌール勲章。昭和54年9月5日死去。78歳。東京出身。本名は鉀一(こういち)。著作に「花ぬすびと」「花伝書」など。

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367日誕生日大事典 「勅使河原蒼風」の解説

勅使河原 蒼風 (てしがわら そうふう)

生年月日:1900年12月17日
昭和時代の華道家。日本いけばな芸術協会理事長
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の勅使河原蒼風の言及

【いけばな】より

…明治の修養主義から大正の教養主義の時代へと,いけばなの自由花もまた人間の教義としてのいけばなを問い,その確立を志した。この運動のなかから昭和初年にはより先鋭的に芸術としてのいけばな確立をめざしたのは,重森三玲,勅使河原蒼風,中山文甫たちによる〈新興いけばな宣言〉であったが,昭和10年代からの戦争突入によってこの運動も挫折してしまった。戦後の急激ないけばなの近代化は,勅使河原蒼風,中山文甫,小原豊雲たちによって展開され,使用する素材の領域を拡大して鉄や石や鳥の羽根,貝などの無機物までを含めていけばなの造形活動を行った。…

【草月流】より

勅使河原蒼風(てしがはらそうふう)によって1927年に創流された近代いけばなの流派。現在大手三派と俗称される池坊・小原・草月の三流の一つ。…

※「勅使河原蒼風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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