草月流いけばなの創始者。本名鉀一(こういち)。幼時から父にいけばなを習うが,1927年独立。28年千疋屋ギャラリーで第1回草月流展を開き流麗な抛入(なげいれ),盛花の自由な造形が注目され,急速に草月流の名をひろめた。30年には美術界に起こったアバンギャルド運動の影響を受け,中山文甫,重森三玲らと〈新興いけばな宣言〉を発表,従来の床の間のいけばなからの解放,だれにもできる抛入,盛花を主張した。第2次大戦後は,毛糸,針金,ガラスなど日常身辺の素材によるオブジェで草月流を大衆化する一方,枯木,樹根,蔓,石,鉄,陶器などを使ってバロック的なモニュメントを制作し,いけばなを造形芸術としてとらえた。アンフォルメルの指導者M.タピエの支援で,欧米で彫刻個展をひらき,54年サン・パウロ芸術祭,57年ミラノ・トリエンナーレ,61年日独修交百年記念文化使節,63年パリの世界現代芸術巨匠展,65年ベルリン芸術祭などに参加。66年流派を統合して日本いけばな芸術協会を設立,晩年は〈古事記〉連作に取り組んだ。
→草月流
執筆者:針生 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
昭和期の華道家 草月流創始者。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
本名鉀一(こういち)。花道家和風の長男として生まれる。いけ花を学び、のち独立して1927年(昭和2)草月流を創始、以後近代いけ花の確立に大きな足跡を残した。とくに第二次世界大戦後「再建の賦」「望古譜」などの創作活動に始まり「玄華」「虚像」などの名作を発表、さらに「汽関車」「二羽の鳥」「ひまわり」を経て「古事記」連作をはじめとする造形の大作品は国際的な評価を受け、いけ花の芸術性を内外に高めた。1961年(昭和36)フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与され、翌1962年芸術選奨文部大臣賞受賞。
[北條明直]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…明治の修養主義から大正の教養主義の時代へと,いけばなの自由花もまた人間の教義としてのいけばなを問い,その確立を志した。この運動のなかから昭和初年にはより先鋭的に芸術としてのいけばな確立をめざしたのは,重森三玲,勅使河原蒼風,中山文甫たちによる〈新興いけばな宣言〉であったが,昭和10年代からの戦争突入によってこの運動も挫折してしまった。戦後の急激ないけばなの近代化は,勅使河原蒼風,中山文甫,小原豊雲たちによって展開され,使用する素材の領域を拡大して鉄や石や鳥の羽根,貝などの無機物までを含めていけばなの造形活動を行った。…
…勅使河原蒼風(てしがはらそうふう)によって1927年に創流された近代いけばなの流派。現在大手三派と俗称される池坊・小原・草月の三流の一つ。…
※「勅使河原蒼風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新