日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝本勘三郎」の意味・わかりやすい解説
勝本勘三郎
かつもとかんざぶろう
(1866―1923)
刑法学者。慶応2年に現在の三重県津市に生まれる。東京帝国大学法科大学卒業後一時検事となったが、1899年(明治32)に東京帝国大学法科大学講師に任じられ、1900年には京都帝国大学法科大学助教授、1902年(明治35)に同教授となり、1914年(大正3)に退職するまで刑法講座を担当した。その後、大阪弁護士会所属の弁護士となり、その会長なども務めた。
京都帝国大学法科大学赴任後、ドイツ、フランス、イタリアに留学して西欧の刑法学を学び、帰国後、新派(近代学派・実証学派)の刑法理論を日本に紹介した。勝本自身は、刑法の犯罪予防的機能を強調し、目的刑主義を採用するなど、新派の強い影響を受けながらも、刑法解釈論のレベルでは、むしろ旧派的な客観主義の立場から、総論・各論に関する精緻(せいち)な理論を展開していた。主要な著書には『刑法折義各論』上下(1900)、『刑法要論総則』(1913)、『刑法の理論及び政策』(1925)などがある。
[名和鐵郎]