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勝田主計 しょうだかずえ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

勝田主計
しょうだかずえ

[生]明治2(1869).9.5. 愛媛
[没]1948.10.10. 東京
財政家,政治家。東京帝国大学卒業後,大蔵省に入り,大蔵次官,朝鮮銀行総裁を歴任,1916年 12月寺内正毅内閣の蔵相に就任した。蔵相在任中,寺内内閣段祺瑞内閣援助政策に関与,その後,清浦奎吾内閣の蔵相,田中義一内閣の文相をつとめ,39年平沼騏一郎内閣内閣参議となり,戦時体制強化に協力した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

勝田主計 しょうだ-かずえ

1869-1948 明治-昭和時代前期の官僚,政治家。
明治2年9月15日生まれ。大蔵省にはいり,理財局長をへて大正元年次官。4年朝鮮銀行総裁。寺内内閣,清浦内閣で蔵相,田中義一内閣で文相をつとめ,蔵相時代には,中国へのいわゆる西原借款や,震災外債の発行をおこなった。貴族院議員。昭和23年10月10日死去。80歳。伊予(愛媛県)出身。帝国大学卒。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

しょうだかずえ【勝田主計】

1869‐1948(明治2‐昭和23)
明治・大正・昭和期の財政家,政治家。伊予松山に生まれ,松山中学校,一高を経て1895年帝国大学法科大学卒業,大蔵省に入る。入省後は税関検査官,函館税関長,臨時国債整理局長,理財局長を歴任し,この間ロシアの財政経済事情の調査,日露戦争後の国債整理,東洋拓殖会社,朝鮮銀行設立等の任にあたった。1915年寺内正毅朝鮮総督の要請で朝鮮銀行総裁に就任,翌年寺内内閣組閣とともに大蔵次官,大蔵大臣に任ぜられた。第1次大戦下の好況,国際収支の好転という条件のもとで,勝田は〈内は生産事業の促進を助長し,外は海外発展を伸長する〉積極財政を展開したが,その中心は対中国進出におかれ,西原借款を代表とする巨額の対中国借款を外務省横浜正金銀行との間に軋轢(あつれき)をひきおこしつつ成立させた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

勝田主計
しょうだかずえ
(1869―1948)

明治・大正期の大蔵官僚、政治家。明治2年9月15日伊予(いよ)国(愛媛県)松山に生まれる。帝国大学法科大学卒業後、大蔵省に入り、国債整理局長、理財局長などを歴任し、1914年(大正3)大蔵次官で退官、貴族院勅選議員となる。1915~1916年朝鮮銀行総裁。1916年10月寺内正毅(まさたけ)内閣のもとで大蔵次官、ついで同年12月大蔵大臣に就任、第一次世界大戦中の好況と外貨蓄積を背景に、積極財政を展開し、対中国投資(西原借款)を企画、実現した。さらに1924年1月に清浦奎吾(きようらけいご)内閣の蔵相、また1928年(昭和3)5月からは田中義一(たなかぎいち)内閣の文相を務めた。若いころ正岡子規(まさおかしき)と交わり、俳句を趣味とした。昭和23年10月10日没。[大森とく子]
『勝田龍夫著『中国借款と勝田主計』(1972・ダイヤモンド社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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