勝間田 清一(読み)カツマタ セイイチ

20世紀日本人名事典の解説

勝間田 清一
カツマタ セイイチ

昭和期の政治家 元・衆院副議長;元・日本社会党委員長。



生年
明治41(1908)年2月11日

没年
平成1(1989)年12月14日

出生地
静岡県御殿場市

学歴〔年〕
京都帝国大学農業経済学部〔昭和6年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔昭和61年〕

経歴
協調会参事、企画院調査官、硫安製造業組合常勤理事を歴任。昭和16年4月のいわゆる企画院事件に連座して、2年間を巣鴨の監獄で過ごす。22年社会党に入党し、同年以来、衆院当選14回。国対委員長、政審会長等を経て、42年委員長に就任。翌年参院選敗北により引責退陣し、以後は党理論センター所長を務める。58年衆院副議長に就任。61年6月引退。片山内閣時代は党内の数少ない政策通として外交、経済政策の立案にあたったほか、党内論争の調停役としての功績が名高い。和田博雄以来の政策グループ路線を形成。座右の銘は「有情」。著書に「日本農業の統制機構」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和の解説

勝間田 清一
カツマタ セイイチ


肩書
元・衆院副議長,元・日本社会党委員長

生年月日
明治41年2月11日

出生地
静岡県御殿場市

学歴
京都帝国大学農業経済学部〔昭和6年〕卒

経歴
協調会参事、企画院調査官、硫安製造業組合常勤理事を歴任。昭和16年4月のいわゆる企画院事件に連座して、2年間を巣鴨の監獄で過ごす。22年社会党に入党し、同年以来、衆院当選14回。国対委員長、政審会長等を経て、42年委員長に就任。翌年参院選敗北により引責退陣し、以後は党理論センター所長を務める。58年衆院副議長に就任。61年6月引退。片山内閣時代は党内の数少ない政策マンとして外交、経済政策の立案にあたったほか、党内論争の調停役としての功績が名高い。和田博雄以来の政策グループ路線を形成。座右の銘は「有情」。著書に「日本農業の統制機構」など。

受賞
勲一等旭日大綬章〔昭和61年〕

趣味
読書

没年月日
平成1年12月14日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

367日誕生日大事典の解説

勝間田 清一 (かつまた せいいち)

生年月日:1908年2月11日
昭和時代の官僚;政治家。衆議院副議長;日本社会党委員長
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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