半田良平(読み)はんだ りょうへい

美術人名辞典の解説

半田良平

歌人。栃木県生。東大卒。窪田空穂師事、『国民文学』に参加し、その主要同人となる。中学の英語教師を務めながら、芭蕉・一茶の俳句を研究。また香川景樹や江戸歌人等の評釈の業績も多い。歿後に刊行された『幸木』は芸術院賞を受賞。他に歌集野づかさ』、評論『短歌新考』がある。昭和20年(1945)歿、59才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

半田良平 はんだ-りょうへい

1887-1945 大正-昭和時代前期の歌人。
明治20年9月10日生まれ。東京中学の英語教師をしながら窪田空穂(くぼた-うつぼ)にまなぶ。十月会をへて「国民文学」の創刊に参加。死後刊行された歌集「幸木(こうぼく)」で芸術院賞をうけた。ほかに歌集「野づかさ」や「芭蕉(ばしょう)俳句新釈」など。昭和20年5月19日死去。59歳。栃木県出身。東京帝大卒。
【格言など】人ならば吾をさいなむ「運命」にをどりかかりて咽喉(のど)締めましを(「幸木」)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

半田良平
はんだりょうへい
(1887―1945)

歌人。栃木県生まれ。東京帝国大学英文科卒業。生涯東京中学教員だった。中学生のころから作歌し、窪田空穂(くぼたうつぼ)の「十月会」に参加、『国民文学』創刊に加わる。1919年(大正8)歌集『野づかさ』刊。写実的で骨太い歌風は農民的でもあり、昭和期には、戦争への重苦しい時代を見抜く知的な重い作をなし、没後の『幸木(こうぼく)』(1948)に、戦死の子を歌う悲痛な作を残し、芸術院賞を受賞。歌論集『短歌新考』『短歌詞章』などのほか、国文学、古典和歌に関する書があり、アーサー・シモンズの翻訳などがある。[武川忠一]
 独(ひとり)して堪へてはをれどつはものの親は悲しといはざらめやも
『『半田良平全歌集』(1958・国民文学社) ▽『沃野 半田良平追悼号』(1949.10・沃野社)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

はんだ‐りょうへい【半田良平】

歌人。栃木県出身。東京帝大卒業後、教職につき生涯教育に従った。明治三八年(一九〇五)窪田空穂を中心にして十月会を起こし歌作にはいる。大正三年(一九一四)「国民文学」の同人。著「野づかさ」「幸木」など。明治二〇~昭和二〇年(一八八七‐一九四五

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