デジタル大辞泉
「半田良平」の意味・読み・例文・類語
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はんだ‐りょうへい【半田良平】
- 歌人。栃木県出身。東京帝大卒業後、教職につき生涯教育に従った。明治三八年(一九〇五)窪田空穂を中心にして十月会を起こし歌作にはいる。大正三年(一九一四)「国民文学」の同人。著「野づかさ」「幸木」など。明治二〇~昭和二〇年(一八八七‐一九四五)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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半田 良平
ハンダ リョウヘイ
大正・昭和期の歌人
- 生年
- 明治20(1887)年9月10日
- 没年
- 昭和20(1945)年5月19日
- 出生地
- 栃木県北犬飼村深津
- 別名
- 旧号=暁声
- 学歴〔年〕
- 東京帝大英文科〔明治45年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 日本芸術院賞(第5回)〔昭和23年〕「幸木」
- 経歴
- 私立東京中学校に勤務。明治38年窪田空穂を中心とする十月会の結成に参加。大正3年「国民文学」創刊とともに同人。以後空穂系歌人として活躍し、8年処女歌集「野づかさ」を上梓。昭和23年遺歌集「幸木」が出版された。ほかに「半田良平全歌集」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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半田良平
はんだりょうへい
(1887―1945)
歌人。栃木県生まれ。東京帝国大学英文科卒業。生涯東京中学教員だった。中学生のころから作歌し、窪田空穂(くぼたうつぼ)の「十月会」に参加、『国民文学』創刊に加わる。1919年(大正8)歌集『野づかさ』刊。写実的で骨太い歌風は農民的でもあり、昭和期には、戦争への重苦しい時代を見抜く知的な重い作をなし、没後の『幸木(こうぼく)』(1948)に、戦死の子を歌う悲痛な作を残し、芸術院賞を受賞。歌論集『短歌新考』『短歌詞章』などのほか、国文学、古典和歌に関する書があり、アーサー・シモンズの翻訳などがある。
[武川忠一]
独(ひとり)して堪へてはをれどつはものの親は悲しといはざらめやも
『『半田良平全歌集』(1958・国民文学社)』▽『『沃野 半田良平追悼号』(1949.10・沃野社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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半田良平 はんだ-りょうへい
1887-1945 大正-昭和時代前期の歌人。
明治20年9月10日生まれ。東京中学の英語教師をしながら窪田空穂(くぼた-うつぼ)にまなぶ。十月会をへて「国民文学」の創刊に参加。死後刊行された歌集「幸木(こうぼく)」で芸術院賞をうけた。ほかに歌集「野づかさ」や「芭蕉(ばしょう)俳句新釈」など。昭和20年5月19日死去。59歳。栃木県出身。東京帝大卒。
【格言など】人ならば吾をさいなむ「運命」にをどりかかりて咽喉(のど)締めましを(「幸木」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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半田 良平 (はんだ りょうへい)
生年月日:1887年9月10日
大正時代;昭和時代の歌人
1945年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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