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南次郎 みなみ じろう

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美術人名辞典の解説

南次郎

陸軍軍人・政治家。大分県生。支那駐屯軍司令官・参謀次長等をつとめたのち第二次若槻内閣の陸相となる。満州事変発生後、辞職して軍事参議官・関東軍司令官・朝鮮総督枢密顧問官等を歴任した。昭和30年(1955)歿、81才。

南次郎

陸軍大将。大分県生。若槻内閣の陸相・関東軍司令官・朝鮮総督・枢密顧問官・貴族院議員等を歴任。昭和30年(1955)歿、81才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

南次郎 みなみ-じろう

1874-1955 明治-昭和時代前期の軍人。
明治7年8月10日生まれ。参謀次長,朝鮮軍司令官をつとめ,昭和5年陸軍大将。6年陸相となり,満州事変では現地軍の拡大方針に追随した。9年関東軍司令官,11年朝鮮総督。のち枢密顧問官,貴族院議員。戦後A級戦犯として終身禁固刑をうけ,29年仮出所。昭和30年12月5日死去。81歳。大分県出身。陸軍大学校卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

みなみじろう【南次郎】

1874‐1955(明治7‐昭和30)
明治・大正・昭和期の軍人。大分県出身。1895年陸軍士官学校第6期,1903年陸軍大学校第17期卒業。第16師団長,参謀次長,朝鮮軍司令官などをへて30年大将に昇進し,31年第2次若槻礼次郎内閣の陸相として満州事変を推進した。さらに軍事参議官,関東軍司令官を歴任,36年の二・二六事件後予備役に編入されたが,同年朝鮮総督,42年枢密顧問官,45年大日本政治会総裁兼貴族院議員となった。第2次世界大戦後A級戦犯として東京裁判にかけられ,終身禁錮の判決を受けた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南次郎
みなみじろう

[生]1874.8.10. 大分
[没]1955.12.5. 鎌倉
陸軍軍人。 1895年陸軍士官学校,1903年陸軍大学校卒業。翌年日露戦争に騎兵中隊長として従軍。陸軍大学校教官,19年中国派遣軍司令官などを歴任後,27年参謀次長,30年大将。 31年4月第2次若槻礼次郎内閣の陸相,対満州政策で強硬論を主張した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南次郎
みなみじろう
(1874―1955)

陸軍軍人。大分県生まれ。陸軍士官学校6期。陸軍大学校卒業。陸軍省軍務局騎兵課長、支那(しな)駐屯軍司令官、参謀次長などを経て、1929年(昭和4)朝鮮軍司令官となる。1930年大将。1931年4月若槻礼次郎(わかつきれいじろう)内閣陸相となり満蒙(まんもう)対策強硬論の立場をとった。同年9月の柳条湖(りゅうじょうこ)事件に際しては、当初は不拡大の方針であったが、のちに拡大派に転じた。1934年関東軍司令官、1936年3月予備役に入り、同年8月朝鮮総督となった。1942年以降、枢密顧問官、大日本政治会総裁、貴族院勅選議員などを歴任。敗戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として終身禁錮刑の判決を受ける。1954年(昭和29)病気のため仮出獄したが、翌年死去した。伝記に御手洗辰雄(みたらいたつお)『南次郎伝』がある。また「南次郎日記」の存在も確認されている。[小田部雄次]

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世界大百科事典内の南次郎の言及

【内鮮融和運動】より

…とくに1919年の三・一独立運動後に“同化”を目標に展開されたが,内鮮融和は満州事変を契機に宇垣一成総督下(1931年9月‐36年8月)に提唱された。その後,日中戦争の拡大下で,朝鮮人を動員するため南次郎朝鮮総督は内鮮一体をスローガンとして掲げ,皇民化政策が強化され,その典型が40年の創氏改名であった。 こうした朝鮮における施策を背景に,日本国内でも在日朝鮮人の急激な増加に対応し,各種の内鮮融和運動が展開された。…

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