精選版 日本国語大辞典 「南次郎」の意味・読み・例文・類語
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陸軍軍人。大分県生まれ。陸軍士官学校6期。陸軍大学校卒業。陸軍省軍務局騎兵課長、支那(しな)駐屯軍司令官、参謀次長などを経て、1929年(昭和4)朝鮮軍司令官となる。1930年大将。1931年4月若槻礼次郎(わかつきれいじろう)内閣陸相となり満蒙(まんもう)対策強硬論の立場をとった。同年9月の柳条湖(りゅうじょうこ)事件に際しては、当初は不拡大の方針であったが、のちに拡大派に転じた。1934年関東軍司令官、1936年3月予備役に入り、同年8月朝鮮総督となった。1942年以降、枢密顧問官、大日本政治会総裁、貴族院勅選議員などを歴任。敗戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として終身禁錮刑の判決を受ける。1954年(昭和29)病気のため仮出獄したが、翌年死去した。伝記に御手洗辰雄(みたらいたつお)『南次郎伝』がある。また「南次郎日記」の存在も確認されている。
[小田部雄次]
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…とくに1919年の三・一独立運動後に“同化”を目標に展開されたが,内鮮融和は満州事変を契機に宇垣一成総督下(1931年9月‐36年8月)に提唱された。その後,日中戦争の拡大下で,朝鮮人を動員するため南次郎朝鮮総督は内鮮一体をスローガンとして掲げ,皇民化政策が強化され,その典型が40年の創氏改名であった。 こうした朝鮮における施策を背景に,日本国内でも在日朝鮮人の急激な増加に対応し,各種の内鮮融和運動が展開された。…
※「南次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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