南洋委任統治領(読み)ナンヨウイニントウチリョウ

デジタル大辞泉 「南洋委任統治領」の意味・読み・例文・類語

なんよう‐いにんとうちりょう〔ナンヤウヰニントウチリヤウ〕【南洋委任統治領】

日本第一次大戦で獲得した植民地ミクロネシア赤道以北で、グアム島を除くマリアナ諸島カロリン諸島マーシャル諸島バベルダオブ島パラオ諸島の主島)など1400の島々からなる。

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改訂新版 世界大百科事典 「南洋委任統治領」の意味・わかりやすい解説

南洋委任統治領 (なんよういにんとうちりょう)

日本が第1次世界大戦で獲得した植民地。ミクロネシアの赤道以北,マリアナ,カロリン,マーシャル(グアム島を除く)3諸島を含み,バベルトゥアプ島(パラオ本島)をはじめ1400余の小島群からなる。総面積約2100km2。住民は当時カナカ人,チャモロ人など約5万。19世紀末以来ドイツ領(グアム島はアメリカ領)であったが,第1次大戦に参戦した日本は,これらの諸島を占領し,1914年臨時南洋群島防備隊を置いて軍政をしいた。19年パリ講和会議はドイツの旧植民地を国際連盟の委任統治領として主要戦勝国に再分割することを決め,南洋諸島の統治権はベルサイユ条約で日本に与えられた。日本は同諸島を自国領土の構成部分として自国法によって統治できるが,軍事施設の設置その他は禁止されていた(C式委任統治)。このうちヤップ島についてはアメリカなどの異議があったが,22年に妥結,同年防備隊を廃して南洋庁が設置され(パラオ諸島コロール島),民政に移行した。南洋庁は旧来の部落首長を村吏に起用して行政を行う一方,移民奨励,産業の振興,教育の普及などを図った。主産業はコプラの生産,サトウキビの栽培,鰹節製造,リン(燐)鉱業(パラオ諸島アンガウル島)などであった。1921年東洋拓殖株式会社の投資で南洋興発株式会社が設立され,近代的製糖・アルコール製造業を開始した。リン鉱は初め官営で採掘され,南洋庁の財政を支えた(1936年から南洋拓殖に移管)。日本人も急増して35年には約5万2000人となり,在来住民数を上回った。1933年日本は国際連盟を脱退したが,統治は継続され,35年連盟もそれを承認した。日中戦争期にはアメリカに対抗するため海軍軍事基地が置かれ,太平洋戦争末期には主戦場の一つとなった。44年7月にはマリアナ諸島のサイパン島が陥落し,これが東条英機内閣退陣の一因になった。以後同島は日本本土空襲の基地となった。戦後47年に国際連合の信託統治領としてアメリカが受託した。
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