日本大百科全書(ニッポニカ) 「原因において自由な行為」の意味・わかりやすい解説
原因において自由な行為
げんいんにおいてじゆうなこうい
行為者が自ら心神の異常(後述する心神喪失または心神耗弱(こうじゃく))の状態を招き、この状態を利用して犯罪を実現すること。たとえば、飲酒や薬物使用により人に危害を加える危険性があるにもかかわらず、それによって自ら心神喪失(責任無能力という)または心神耗弱(限定責任能力という)の状態に陥り、他人を殺傷したり、自動車死傷事故を起こす場合である。
刑法第39条によれば、1項によって行為者が犯行時に責任無能力であれば不可罰であり、2項によって限定責任能力であれば刑がつねに減軽される。しかし、責任能力を有する者が、自ら心神の異常な状態を招いたにもかかわらず、不可罰としたり、刑を減軽することは不合理である。そこで、このような不合理に対処しとうとするのが、原因において自由な行為の理論である。この理論に関しては、次のような二つの問題がある。
第一に、たとえば、責任能力を有する者が飲酒によって自らを責任無能力の状態に陥れて人を殺害する場合、刑法第199条の「人を殺す」行為(殺人罪の実行行為)にあたるのは、殺意をもって飲酒する行為(原因行為)か、現に人を殺害する行為(結果行為)かという問題がある。従来の通説は、実行行為と責任との同時存在の原則を強調して、原因行為が実行行為であり、これがあれば未遂犯が成立しうると解していた。これに対しては、飲酒行為が殺人罪の実行行為であるとして、この時点で殺人未遂犯を認めるのは早すぎるなどの批判が強い。そこで、今日の支配的見解によれば、原因において自由な行為は前述の原則の例外であるとして、あくまで結果行為が実行行為(すなわち、未遂犯の成立時期)であるが、自ら心神の異常な状態を招いた原因行為に対して責任非難が可能であると解している。
第二に、原因において自由な行為は、原因行為時に責任無能力の場合のほか、限定責任能力の場合にも肯定しうるかという問題がある。この点につき、学説は否定説と肯定説に分かれていたが、1968年(昭和43)の最高裁判決は、酒酔い運転という道路交通法違反事件について、「酒酔い運転の行為当時に飲酒酩酊(めいてい)により心神耗弱の状態にあったとしても、飲酒の際酒酔い運転の意思が認められる場合には、刑法第39条2項を適用して刑の減軽をすべきでない」と判示するに至った。これによれば、飲酒酩酊のあとに運転の意思が生じた場合には適用がないから、そのような場合には刑がつねに減軽されることになる。また、2001年(平成13)に新設された危険運転致死傷罪(刑法208条の2)についても、これと同様の問題がある。その第1項前段は、「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ」て人を死傷させる罪であるから、前述の最高裁判決によれば、飲酒時または薬物の使用時に運転の意思(故意)があれば、危険運転時に行為者が責任無能力または限定責任能力の状態にあっても、刑法第39条は適用されないことになる。
[名和鐵郎]