原子力平和利用国際会議(読み)げんしりょくへいわりようこくさいかいぎ(英語表記)International Conference on the Peaceful Uses of Atomic Energy

共同通信ニュース用語解説 「原子力平和利用国際会議」の解説

原子力平和利用国際会議

それまで主に軍事目的に利用されていた原子力を、原発などの民生用に活用しようと、国連が主催した国際会議。1955年8月に第1回会議ジュネーブで開かれ、当時の報道によると、70カ国以上が参加した。アイゼンハワー米大統領は53年12月に「平和のための原子力」を提唱しており、原発の世界的な導入を進めたい米国ソ連英国などの意向が強く働いた。日本からは科学者を含む政府代表のほか、中曽根康弘氏ら国会議員が出席した。会議後、原子力基本法が制定され、原子力委員会が発足。米英両国からの原子炉導入が進んだ。

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改訂新版 世界大百科事典 「原子力平和利用国際会議」の意味・わかりやすい解説

原子力平和利用国際会議 (げんしりょくへいわりようこくさいかいぎ)
International Conference on the Peaceful Uses of Atomic Energy

略称ICPUAE。原子力平和利用国際会議は,国際連合主催でその第1回会合は1955年に開催された。開催地がこれまでジュネーブであったため,通称ジュネーブ会議と呼ばれている。この原子力平和利用国際会議は,原子力開発の歴史とともに,漸次その性格を変え,時の原子力開発の社会背景と深いかかわりを持った。1953年のアイゼンハワー・アメリカ大統領のいわゆる〈原子力平和利用宣言〉の2年後に開かれた第1回会議は,原子力平和利用を初めて国際社会に紹介したものであり,特にそれまで秘密のベールで閉ざされていた東西両陣営の原子力関係の技術情報が大量に公開されたことから,世界的にその会議の意義が高く評価され,熱狂的な反応があった。58年の第2回会議,64年の第3回会議では,原子力開発の基礎段階から実用化段階を迎え,すでに軽水炉の商業炉が運転を開始した時代であり,原子力技術の将来性,より安価な発電技術の追求などの技術的な側面からの討議が行われた。71年の第4回会議では,原子力技術の進歩を反映し,原子力発電産業として自立,確立する時期にさしかかった時代背景から,これまでの会議の技術的側面からより原子力産業に関連する問題,特に技術と経済性,および法的制約の結びつきといった企業的側面の関心が強調された。第5回会議はユーゴスラビアの提案により,83年に開催すべく準備が進められた。しかし開発途上国と原子力先進諸国との間に,原子力平和利用国際協力の進め方に関する基本的考え方に相違があり,このため,会議の議題案,諸手続きなどについて調整がつかず,87年に開催された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「原子力平和利用国際会議」の意味・わかりやすい解説

原子力平和利用国際会議
げんしりょくへいわりようこくさいかいぎ
International Conference on the Peaceful Uses of Atomic Energy

原子力平和利用に関する国際協力についての7ヵ国共同決議案に基づいて開かれた国際会議。 1954年 12月の国連総会で採択された。 55年8月ジュネーブでの第1回会議には,73ヵ国から原子物理学者など約 3800人が集り,原子力平和利用についての広範な討論が行われた。 58年9月に第2回会議,64年8月に第3回会議,71年9月に第4回会議がいずれもジュネーブで開かれた。なお,7ヵ国共同決議案に基づいて,56年 10月に国際原子力機関憲章が調印され,57年7月には国際原子力機関が設立された。

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