デジタル大辞泉 「原田正純」の意味・読み・例文・類語 はらだ‐まさずみ【原田正純】 [1934~2012]医師。鹿児島の生まれ。水俣病研究の第一人者として診察・調査などに尽力。昭和39年(1964)には、母親の胎内で有機水銀に侵される胎児性水俣病の存在を明らかにした。カネミ油症事件やベトナム戦争における枯れ葉剤被害などでも、患者の救済に向けて活動した。著作に「水俣病」など。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
百科事典マイペディア 「原田正純」の意味・わかりやすい解説 原田正純【はらだまさずみ】 医師。鹿児島県さつま市出身。ラ・サール高校をへて1959年熊本大学医学部卒業。熊本大学大学院医学研究科で神経精神医学を学ぶ。1964年精神神経科助手。同年,〈水俣地区に集団発生した先天性・外因性精神薄弱:母体内で起こった有機水銀中毒による精神神経障害,”先天性水俣病”〉の研究で,熊本大学から学位授与。1972年,熊本大学体質医学研究所助教授。水俣病患者の立場にたった徹底した診断と研究を行い,水俣病研究にもっとも詳細な知見をもつ医師として,多くの患者・関係者に信頼された。生涯,環境公害の罪悪を世界に訴える活動を続けた。朝日賞受賞(2010年)。熊本大退職後は熊本学園大学社会福祉学部教授。主著に《水俣が映す世界》(1989年,日本評論社,大佛次郎賞受賞)がある。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原田正純」の解説 原田正純 はらだ-まさずみ 1934-2012 昭和後期-平成時代の医学者。昭和9年9月14日生まれ。昭和47年熊本大助教授となる。平成11年熊本学園大教授。先天性(胎児性)水俣(みなまた)病の研究で知られ,昭和40年精神神経学会賞。三井三池炭鉱の一酸化炭素中毒の実態解明にとりくみ,アマゾン川の水銀汚染の現地調査にも力をそそいだ。平成13年吉川英治文化賞。23年「水俣病研究を通した学際的な「水俣学」の提唱と深化」で朝日賞。平成24年6月11日死去。77歳。鹿児島県出身。熊本大卒。著作に「水俣病」「水俣・もう一つのカルテ」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例