京都の裏千家にある茶室。1653年(承応2)、宗旦(そうたん)が隠居屋敷を江岑(こうしん)に譲って再隠居する際に造立した四畳半が又隠であるといわれる。天明(てんめい)大火後、1789年(寛政1)に再建された。茅葺入母屋(かやぶきいりもや)造で軒が低く、ひなびた外観を形成し、内部は、躙口(にじりぐち)の正面に床(とこ)を構え、点前座(てまえざ)に洞庫(どうこ)を備える。天井は躙口側半間通りを化粧屋根裏、ほかは網代(あじろ)天井としている。窓は客座側と躙口側に下地(したじ)窓が一窓ずつと突上げ窓があけられているだけで、採光や開放性は極度に抑制されている。亭主の口は茶道口に限定されている。利休の完成した草庵(そうあん)風四畳半を踏襲しながら、点前座の入隅(いりずみ)に楊子柱(ようじばしら)の手法を導入するなど、いっそう佗(わ)びた趣(おもむき)が強調されている。利休流四畳半の典型として、江戸時代に広く流布された。
[中村昌生]
今日庵とともに裏千家を代表する茶室。京都上京の裏千家邸内に所在。1653年(承応2)千宗旦は隠居屋敷を江岑宗左(こうしんそうざ)に譲って再隠居した。そのとき造立した四畳半が又隠であると伝えられている。葛葺き(かつらぶき)屋根の外観はひなびたたたずまいを示し,内部は躙口(にじりぐち)の正面に床を構え,炉は四畳半切で洞庫(どうこ)(道具畳の勝手付に仕付けられる押入れ式の棚)を備える。窓は二つの下地窓と突上窓だけで,精神性の深い空間が形成されている。利休流四畳半を再現したものとみられるが,点前(てまえ)座の入隅(いりずみ)に楊子柱(ようじばしら)の手法を取り入れるなどして,侘びた性格が強調されている。
→茶室
執筆者:中村 昌生
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…千利休を開祖とする茶道の流派の一つ。利休の孫宗旦が不審庵を三男江岑(こうしん)宗左に譲り,北の隣接地に今日庵,寒雲亭さらに又隠(ゆういん)を建てて移り住み,それが末子仙叟に譲られたことにより裏千家が成立。現在の15世に至るまで,代々宗室を名のっている。…
※「又隠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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