京都市上京(かみぎょう)区の裏千家にあり、同家を代表する茶室。1646年(正保3)宗旦(そうたん)が隠居屋敷に造立した二畳の茶室で、1649年(慶安2)4月、宗旦の茶によばれた松屋久重(ひさしげ)が「隠居ノ二畳敷、但(ただし)、一畳半敷テ、残リハ板畳也(なり)、中柱有之(これあり)、但ヌキハ無之(これなく)候」と書き留めた茶室にあたる。中柱を立て、袖壁(そでかべ)をつけて向板(むこういた)を囲っていたというこの茶室は、明らかに現在の今日庵と同じである。点前(てまえ)畳の先に床(とこ)のかわりに向板を入れ、勝手の水屋棚を縮小したような水屋洞庫(どうこ)を付設して、種種な働きを二畳の空間に整然と集約している。向板について、川上不白(かわかみふはく)は「床も付られぬ佗(わび)の小座敷へ床の替りに御好なされ候」と述べていた。片流れの総屋根裏という天井の構成も、佗びの造形の極点を示す表現である。なお、宗旦時代の茶室は1788年(天明8)天明(てんめい)の大火によって焼失し、現在の茶室はその直後に再建されたといわれる。
[中村昌生]
又隠(ゆういん)とともに裏千家の中心をなす茶室。1646年(正保3)に隠居を表明した宗旦は,屋敷の北方に隠居屋敷を構え,そのなかに2畳の茶室を造立した。1649年(慶安2)4月,宗旦の茶に呼ばれた松屋久重が〈隠居ノ二畳敷,但,一畳半敷テ,残リハ板也,中柱有之,但ヌキハ無之候〉と書き留めていた茶室に当たる。すなわち,一畳台目に向板(むこういた)を入れ,向板の前角に中柱を立てて袖壁をつけ向板を囲ったこの茶室の特色がよくわかる。今日庵を特色あるものにしている向板と中柱と袖壁とによる構成は,壁床という形式を保ちながら,床の機能を組み入れたわびた作意から生み出されている。勝手付には水屋棚を縮小したような水屋洞庫が付設されている。
執筆者:中村 昌生
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…千利休を開祖とする茶道の流派の一つ。利休の孫宗旦が不審庵を三男江岑(こうしん)宗左に譲り,北の隣接地に今日庵,寒雲亭さらに又隠(ゆういん)を建てて移り住み,それが末子仙叟に譲られたことにより裏千家が成立。現在の15世に至るまで,代々宗室を名のっている。…
…それとともに大徳寺の喝食(かつしき)として修行していた少庵の子千宗旦は還俗し,千家3世を継承することとなった。その後,宗旦は不審庵を中心とする本法寺前町の屋敷を三男江岑(こうしん)宗左に譲り,北裏に今日庵(裏千家)を建て,四男仙叟(せんそう)宗室とともに移り住んだ。ここに表千家と裏千家が成立した。…
※「今日庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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