改訂新版 世界大百科事典 「反軍演説問題」の意味・わかりやすい解説
反軍演説問題 (はんぐんえんぜつもんだい)
反軍とは軍部や軍事政策への反対,批判を指し,その意味では第70議会(1937年1月)の浜田国松の演説(いわゆる〈腹切り問答〉)なども含まれるが,一般には第75議会での斎藤隆夫の演説を指す場合が多い。1940年2月2日の衆議院本会議で民政党から代表質問に立った斎藤は,〈東亜新秩序を唱える近衛声明で“支那事変”が解決できるというのは,現実を無視し聖戦の美名にかくれて国民的犠牲を閑却するものではないか,近く現れんとしている汪兆銘政権に,中国の将来を担うだけの力があるとは思われない,政府は国民精神総動員に巨額の費用を投じているが,国民にはこの事変の目的すらわからない〉など対中国政策を全面的に批判した。これに対して軍部は強く反発し,この演説を放置しては第一線将兵の士気や汪政権の威信にかかわるとして斎藤の処分を要求,右翼小党派の集りである時局同志会や政友会中島知久平派がこれに呼応した。小山松寿議長(民政党出身)は,とりあえず斎藤演説の半分を速記録から削除するとともに,民政党の意向をもうけて翌2月3日議長職権で斎藤を懲罰委員会に付した。懲罰問題は約1ヵ月にわたり紛糾したが,各党派とも結局除名派に圧せられ,3月7日の本会議を秘密会として斎藤の議員除名を決定,9日には斎藤演説反対を表明するため,〈聖戦貫徹ニ関スル決議案〉を各派共同で上程・可決した。
このことは議会みずからが,議会内においても公認の戦争イデオロギーに疑義をさしはさむ発言を許さないという原則を承認したことを意味した。以後,除名派は除名反対派を追撃し,とくに社会大衆党では本会議を欠席した片山哲,鈴木文治,西尾末広ら8議員を除名した。また斎藤除名派は各派より約100名の議員を集めて,3月25日聖戦貫徹議員同盟を結成,斎藤除名は既成党派解体,ファッショ的再編の画期をもつくりだすことになった。
執筆者:古屋 哲夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報