コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

米内光政 よない みつまさ

8件 の用語解説(米内光政の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

米内光政

海軍大将・政治家。岩手県生。受政の長男。連合艦隊司令長官、林内閣の海相となり、のち首相に就任した。のちまた海相となり終戦後の難事に善処した。海軍軍人の中で特に国際的視野が広く、戦争について信念をもち、陸軍強硬派への抵抗に終始し、降伏のやむなきを主張しつづけた。昭和23年(1948)歿、69才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

よない‐みつまさ【米内光政】

[1880~1948]軍人・政治家。海軍大将。岩手の生まれ。海軍の要職を歴任ののち、昭和15年(1940)首相。日独伊三国同盟を望む陸軍と対立して総辞職。その後、海相として戦争終結と海軍の解体に当たった。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

米内光政【よないみつまさ】

海軍大将,政治家。岩手県生れ。海軍兵学校卒。佐世保横須賀等の司令長官を経て,1936年連合艦隊司令長官。1937年以後6回海相を務め,日中戦争に対しては不拡大論を唱え,日独伊三国同盟締結には批判的であった。
→関連項目小磯国昭内閣山本五十六

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

米内光政 よない-みつまさ

1880-1948 明治-昭和時代前期の軍人,政治家。
明治13年3月2日生まれ。昭和11年連合艦隊司令長官。12年から林,第1次近衛(このえ),平沼各内閣の海相となり,陸軍がすすめる日独伊三国同盟に終始反対した。15年組閣したが,陸軍の不支持で6ヵ月で総辞職。19年から小磯(こいそ),鈴木,東久邇(ひがしくに),幣原(しではら)各内閣の海相をつとめ,戦争終結に努力した。海軍大将。昭和23年4月20日死去。69歳。岩手県出身。海軍大学校卒。
【格言など】勝利の目算は皆無である(ポツダム宣言に対する閣議での発言)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

よないみつまさ【米内光政】

1880‐1948(明治13‐昭和23)
海軍軍人,首相。岩手県出身。海軍兵学校,海軍大学校卒業。日露戦争には電乗組として日本海海戦に参加。砲術学校教官をへて1914年旅順要港部参謀となり,その後,第2艦隊参謀長,第3艦隊司令長官,第2艦隊司令長官,横須賀鎮守府長官を歴任。36年連合艦隊司令長官に就任し,翌年大将。林銑十郎,第1次近衛文麿平沼騏一郎各内閣の海相を務め,日中全面戦争の開始に際しては不拡大論を唱え,日独伊三国同盟締結に強く反対した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

よないみつまさ【米内光政】

1880~1948) 軍人・政治家。海軍大将。岩手県生まれ。連合艦隊司令長官・海相を歴任。1940年(昭和15)組閣。日独伊三国同盟に反対し、陸軍により辞職に追い込まれた。のち海相として戦争終結、敗戦処理に尽力した。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

米内光政
よないみつまさ

[生]1880.3.2. 岩手,盛岡
[没]1948.4.20. 東京
海軍軍人,政治家。 1914年海軍大学校卒業。 30年中将。第3艦隊司令官,佐世保,横須賀各鎮守府司令官を経て,36年連合艦隊司令長官。 37年林内閣の海相。同年大将に昇進した。近衛,平沼両内閣に留任し,40年1月には首相に就任,日独伊三国同盟締結に反対したが,陸軍の策謀にあい半年で辞職した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

米内光政
よないみつまさ
(1880―1948)

昭和期の軍人、政治家。明治13年3月2日岩手県に生まれる。1901年(明治34)海軍兵学校第29期卒業。戦艦陸奥(むつ)艦長などを務めたのち、第三艦隊、佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)、第二艦隊、横須賀鎮守府の各司令長官などを歴任し、1936年(昭和11)連合艦隊司令長官となった。1937年2月林銑十郎(はやしせんじゅうろう)内閣の海相に就任。同年海軍大将。以後第一次近衛文麿(このえふみまろ)、平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)両内閣の海相に留任。この間1937年日中戦争が始まると、8月以後拡大方針に転換し、1938年1月「国民政府ヲ対手(あいて)トセズ」との強硬方針にくみしたが、陸軍の日独同盟政策には山本五十六(やまもといそろく)海軍次官、井上成美(いのうえしげよし)軍務局長とともに反対し挫折(ざせつ)させた。1940年1月予備役となって内閣を組織したが、親英米的であるとして陸軍や「革新派」の攻撃を受け、7月、日独伊三国同盟政策を進める陸軍の策謀で倒された。1944年7月太平洋戦争の戦局悪化のなかで現役に復帰し、小磯国昭(こいそくにあき)内閣の副総理兼海相に就任。以後、海軍の解体まで鈴木貫太郎、東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)各内閣の海相に留任し、戦争終結と敗戦処理のために尽力した。昭和23年4月20日死去。スマートで穏和な人柄の人物であり、海軍穏健派のエース的存在であった。[吉見義明]
『実松譲著『米内光政』(1966・光人社) ▽豊田穣著『激流の孤舟――提督・米内光政の生涯』(1978・講談社) ▽実松譲著『海軍大将米内光政正伝――肝脳を国の未来に捧げ尽くした一軍人政治家の生涯』(2009・光人社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

米内光政の関連キーワード伊東太郎大内地山角田俊雄加藤静夫郷芳男小杉武司中川浄益(10代)林幸平森永助弓場貫一

今日のキーワード

ネコノミクス

猫が生み出す経済効果を指す造語。2012年に発足した安倍晋三内閣の経済政策「アベノミクス」にちなみ、経済が低迷する中でも猫に関連するビジネスが盛況で、大きな経済効果をもたらしていることを表現したもの。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

米内光政の関連情報